川上未映子『すべて真夜中の恋人たち』(3)

「群像」十一月号に作者のインタヴューがあった。聞き手は武田将明である。 私は『すべて真夜中の恋人たち』の主人公冬子を「たんにつまらない、何にも無い人」だと書いた。それがこの小説の要だと思ったのだ。川上未映子が語りだすのはまづこの点であり、自…

小川洋子『人質の朗読会』

南米を旅行中の日本人八人が人質になり、救出作戦が失敗して全員が爆死してしまった。こんな結末から始まる短編集である。さて、人質たちは監禁されている間に、各々の物語を語る朗読会を続けていた。それは盗聴され録音され、そして公開された。それを九本…

「新潮」十一月号、柄谷行人「哲学の起源」(5)

第五章 イオニア没落後の思想(2)「3パルメニデス」 パルメニデスは「有るものは有る、有らぬものは有らぬ」で知られる。エレアのゼノンはその弟子で、アキレスと亀の逆説で知られる。柄谷行人はこの二人をワンセットで考えてパルメニデスを論じた。する…

「新潮」十一月号、長谷川郁夫「吉田健一」(第一回)

吉田健一はなかなか読み切れない。文章が読みづらくていけないのだ。たまに読むと10/03/14 に書いたように、私は感激する。長谷川郁夫が彼の評伝を「新潮」で連載し始めた。来年の生誕百年に合わせたのだろう。長谷川は小澤書店の社長だったから吉田と付き合…

川上未映子『すべて真夜中の恋人たち』(2)

一九日の「読売新聞」夕刊に川上未映子のインタヴューが載った。『すべて真夜中の恋人たち』について、こんな質問を受けている、「今作では「光」が重要なモチーフになっていますね」。未映子の答えはこうだ。 見えるものと見えないもの、今あるけれどいずれ…

「文芸」夏号、中村文則「王国」、「群像」5月号、伊坂幸太郎「PK」

文学がキャッチコピーみたいになってる。問題を提出するのが文学の仕事だろう。なのに、「人生を三〇字以内でまとめよ」みたいな模範解答でオチをつけようとする。そんなオチ無しでも作品は仕上がったのではないか、と思う。解答を据えないと気の済まない作…

「新潮」10月号、柄谷行人「哲学の起源」(4)

第五章 イオニア没落後の思想 イオニアのイソノミアはリディアやペルシアの支配を受ける以前に崩れていた。イソノミアの維持は難しい。むしろイソノミアは失われた後に見出されるほどのものである。イソノミアを回復しようとする思想は、維持の難しさや崩壊…

「群像」六月号、川上弘美「神様2011」

川上弘美のデビュー作は、「くまにさそわれて散歩に出る」という彼女らしい奇妙な書き出しの「神様」で一九九三年の発表である。人語をあやつる熊で、しかもジェントルだ。のんびりと散歩がこなされ、目的地の川原に到着する。そのとたん、熊に野性がよみが…

六月一七日「週刊読書人」、柄谷行人「反原発デモが日本を変える」

六月一七日の「週刊読書人」で柄谷行人のインタヴュー「反原発デモが日本を変える」が載ったのを知らずにいた。ネット上でも複数のページで見られるようである。私は柄谷行人の公式ウェブサイトで読んだ。福島第一原子力発電所の事故があってから、若い人の…

「新潮」10月号、丸谷才一「持ち重りする薔薇の花」、他、小池昌代『弦と響』

丸谷才一って文学史でどんな扱いになるんだろう。ほとんど読んだことが無い。ただ私は弦楽四重奏曲が大好きだ。彼の新作「持ち重りする薔薇の花」が弦楽四重奏団を扱っている。今年は同様の小説、小池昌代『弦と響』が出たこともあり、比べながら読んだ。た…

「群像」十月号、柄谷行人、「群像」と私

「群像」が六十五周年ということで、何人かのエッセイを載せている。柄谷行人のが、以前私の書いた「編集部の都合」を詳しく説明していた。一九七三年に「小説現代」の編集長だった人が「群像」の編集長になったんだそうだ。「この人事は、戦後文学、純文学…

奥泉光『シューマンの指』(3)

永嶺修人がこんなことを言う、「シューマンが作曲を始めたのが、ポスト・ベートーヴェンの時代だったということは、決定的だったと思うな」「あの三二曲のソナタのあとで、いったいどんなふうにソナタを書いたらいいんだろう?」。ベートーヴェンの後で書く…

拓次あるいは朔太郎なら

あなたもう光りはじめてます。 ぼくもかがみをみるたび、 かおがおだやかです。 へやのべんじゃみん、あろえ、ごむ、 みるみるのびてゆく。 あり、ねずみ、すなぼこり、 おしよせてくる。 だいじょうぶ。 いんくをのめばだいじょうぶ。 よーぐるとはあんぜん…

「群像」九月号、川上未映子「すべて真夜中の恋人たち」(1)

椅子や石の考えている夢を実現してやるんだ、と埴谷雄高は絶叫していた。『独白 「死霊」の世界』のどこかでそんな場面があった。椅子や石の夢はさぞかし楽しくて、実現のし甲斐があろう。埴谷雄高には、「言いたいことも言えずに死んでいった者たちの代弁者…

「新潮」九月号、柄谷行人「哲学の起源(3)」

第四章 宗教批判としての自然哲学 タレスは万物の元を水に求めた。アナクシマンドロスは地水火風の四要素を挙げた。しかし、イオニアの自然哲学においては、何が始原物質であるかという意見の相違よりも、共通点に注目すべきだ。物質と運動が不可分であり、…

奥泉光『シューマンの指』(2)「『シューマンの指』音楽集」

『シューマンの指』を読んでいて、ところどころもどかしいのは、聴いたことの無い曲が言及されていることだ。同じ気持ちの読者が多いのだろう。ソニーが六枚組のCDを作ってくれた。小説に現れるシューマンをほぼ全部集めて三千円というのは便利だ。「ピア…

「群像」8月号、古井由吉「子供の行方」

桶谷秀昭が『昭和精神史』(一九九二)だったか、その戦後編(二〇〇〇)だったかで書いていた。『きけわだつみのこえ』なんかを読むと、アメリカへの憎悪が無いことに驚く、という話である。一九四七年の出版だから当然のように思えるけれど、一九四三刊行…

「新潮」八月号、柄谷行人「哲学の起源(2)」

第三章 イオニア自然哲学の背景 イオニアの思想は自然哲学だった、と哲学史では解説される。それが含意するのは、イオニア哲学は未発達で、まだ人間の内面や倫理を問題にできなかった、ということだ。それはありえない、と柄谷行人は考える。 1自然哲学と倫…

「毎日新聞」三月三一日、田中和生「文芸時評」

田中和生が毎日新聞の文芸時評で言い続けていることがぴんとこない。一言で言えば、リアリズムの勧めである。三月三一日のが最初で、これだけでも最低限の主張はわかる。東日本大震災があり、福島の原子力発電所の事故が起きた、それによって、 どんな地震が…

奥泉光『シューマンの指』(その1)

シューマンの不思議を言うと、名曲は無い。名演奏がたくさんある。ピアノ五重奏曲のような優等生的「おクラシック」が、バリリとデムスの共演によってめでたく響くことに私は感嘆してきた。ショパンなら、曲が優等生的な場合は演奏も多くはそんなもんだ。奥…

ナターシャ・グジー

東北の地震があってしばらくしたら、同僚がナターシャ・グジーの動画を教えてくれた。ネットで話題になっていたらしい。三年前のテレビ放送である。なのに、言葉と歌詞がいまを予言しているとしか思えない。私はもう彼女の意味づけを抜きにしてこの歌を聴く…

柄谷行人「哲学の起源」(1)「新潮」7月号

第一章「普遍宗教と哲学」 普遍宗教については『世界史の構造』で説明された。私の要約では11/07/27 のあたりだ。簡単に言えば、政治権力と貨幣経済のもたらす不自由や不平等に対抗するため、それらの無かった共同体の時代を現代的に回復しよう、という運動…

井上太郎『ハイドン&モーツァルト弦楽重奏曲を聴く』ほか

難波のジュンク堂に出かけた。大きな書店に行ったのは年末の神田が最後だから、久しぶりだ。井上太郎『ハイドン&モーツァルト弦楽重奏曲を聴く』を買うためである。ネットで注文するのがもどかしかった。前著『ハイドン106の交響曲を聴く』の愛読者とし…

如月の一番「文芸」冬号、大森兄弟「まことの人々」

私がもたもたしてるうちにとっくに単行本になっていた。初出で読んでおく。改稿の有無は調べてない。 男子大学生の一人称小説で、彼が付き合っている女子大生が話題の中心である。彼女は演劇をやっており、「まことの人々」という劇で「エドモン軍曹」を演じ…

二〇一〇年「すばる」十二月号、荻世いをら「筋肉のほとりで」

ひとつめ、清潔や健全を究めると邪悪や醜悪が滲み出てくる。ふたつめ、現在とは別の世界や過去にあった可能性が頭から離れない。このふたつが小説でわりと流行ってる傾向である。どちらも読める代表は『1Q84』だ。そのずっと前から村上春樹はこの主題を…

二〇一〇年「すばる」十二月号、田中慎弥「第三紀層の魚」

私の部屋には、読んでない本の塔が複数ある。読書量の低下は前にも書いたとおりだ。塔の中に昨年の「すばる」12月号があった。買ってたんだ。田中慎弥「第三紀層の魚」と荻世いをら「筋肉のほとりで」を読むつもりだったのである。さっそく田中から読んだ。 …

小島信夫『漱石を読む』(一九九三)、佐藤泰正『これが漱石だ』(二〇一〇)

ひさしぶりに『明暗』を読みたい、なんて思いついた。どこが日本近代文学の最高傑作なのか、私にはよくわからん小説である。『道草』の方が素敵ぢゃないの、と思ってきた。いますぐ読み返したら同じ感想を得るだけだろうから、ちょっと予習しよう。昨年に出…

睦月の一番、村上龍『歌うクジラ』(まだ読み始め)

宮台真司が誰かとの対談で「子育てしてると二割は仕事量が減る」みたいな発言をしていた。「勉強量」だったかな。よくまあ二割で済んだ。私の子育ては、一年目が終わろうとしたところで順調なペースがつかめてきており、それは要するに、読書量を四割は減ら…

村上龍『希望の国のエクソダス』(二〇〇〇)

前回とりあげた対談で、「文学的に評価されないという覚悟をしないとだめです」という柄谷行人の発言に納得してしまった。さっそく、この対談で例にされていた『希望の国のエクソダス』を読んだ。たしかに文学的ではない。男の大衆作家がよくやるような、社…

十年前の「群像」を読んだ。柄谷行人と村上龍の対談。

十年前の一月号には「群像」と「文学界」が柄谷行人の対談や鼎談を載せた。どちらも良い。NAM を始めた頃で、柄谷の発言は意気軒昂としている。それとはあまり関係無い部分を引用しよう。もちろん、NAM を始めたという文脈で語っていることではある。「群像…