「文芸」夏号、中村文則「王国」、「群像」5月号、伊坂幸太郎「PK」

文学がキャッチコピーみたいになってる。問題を提出するのが文学の仕事だろう。なのに、「人生を三〇字以内でまとめよ」みたいな模範解答でオチをつけようとする。そんなオチ無しでも作品は仕上がったのではないか、と思う。解答を据えないと気の済まない作…

井上太郎『ハイドン&モーツァルト弦楽重奏曲を聴く』ほか

難波のジュンク堂に出かけた。大きな書店に行ったのは年末の神田が最後だから、久しぶりだ。井上太郎『ハイドン&モーツァルト弦楽重奏曲を聴く』を買うためである。ネットで注文するのがもどかしかった。前著『ハイドン106の交響曲を聴く』の愛読者とし…

十年前の「新潮」臨時増刊と「文学界」を読んだ。

十年前は三島由紀夫が死んで三十年だった。「新潮」が臨時増刊を出した。アンケートがある。1、「三島由紀夫」が好きですか、嫌いですか。それは何故ですか。2、自決後の30年間はどういう時間だったと思いますか。3、三島作品のベストワンは。(ごく簡単…

中公文庫「完全版」伊藤比呂美『良いおっぱい悪いおっぱい』

やっと子供が七カ月になった。妊娠から今日まで出産本や育児書は何冊か読んだ。育児書で特に素晴らしかったのが内藤寿七郎『育児の原理』である。内藤は三年前に百一歳で亡くなった偉大な小児科医である。題名は悪い。乳幼児保健学なんかの教科書のようだ。…

詩、まとめて。

「現代詩手帖」7月号が文月悠光(ふづきゆみ)の特集だった。私はこの人の良さがあまりわからない。特集記事を読めば納得がいくかな、と期待したのである。結果、やっぱわからん。もちろん悪くはない詩人だ。「うしなったつま先」の冒頭二行「靴がない!/…

「新潮」9月号、絲山秋子「作家の超然」(2)

主人公倉渕は首に腫瘍のできた作家で、兄夫婦を伴い、手術の説明を受ける。そこを引用する。私小説だろう。事実の報告を主とした体験記でないのは確かだ。文学的な主題がはっきりしている。この作品にもマニュアル通りの説明をする医師が現れる。前回に触れ…

前島賢『セカイ系とは何か』

セカイ系という言葉を知ったのは最近である。社会的な媒介項を抜いて自分と世界が直結してしまう、という点で、連想したのは、タルコフスキーとか志賀直哉とかだ。そんなにはずしてないと思う。調べたり検索したりしたら、言及してる人がすでにあった。最近…

鮎川信夫賞、稲川方人、瀬尾育生『詩的間伐』

私が現代詩を読めなくなってきたのは、たぶん、平出隆や松浦寿輝を好んで、稲川方人を読まなかったことも一因かもしれない。稲川の方が現代詩であった。今となっては平出や松浦を詩人とは呼びにくくなっている。対して、中尾太一が稲川方人から生まれている…

十年前の「新潮」7月号、三島由紀夫賞選評

『服部さんの幸福な日』(2000)と『濁った激流にかかる橋』(2000)が好きだから、私は伊井直行の愛読者だ、と言ってもいいかもしれない。特に、筋書きだけ書いたらサイコで緊迫感のあるはずのストーリーを、のほほんと仕上げてしまった前者が気に入っている。…

飯塚朝美「クロスフェーダーの曖昧な光」の改稿

飯塚朝美の初の単行本が出ている。「地上で最も巨大な死骸」と「クロスフェーダーの曖昧な光」の二編が収録された。書名は前者が選ばれた。これについては前に書いた。後者は新潮新人賞受賞作で、当時の選考委員たちに酷評された。これも前に書いた。あんま…

井上太郎『ハイドン106の交響曲を聴く』

昨年は埴谷雄高他の生誕百年であるだけでなく、ハイドン没後の二百年でもあったらしい。その記念としてこんな本が出ているのを知らなかった。ハイドンの交響曲の一曲ごとすべて、というより、一楽章ごとすべてに、素人向けの解説を付けてくれた親切な本であ…

弥生の一番、青山七恵『魔法使いクラブ』

青山七恵とか津村記久子を読むとよく思う、「また芥川賞を取るつもりなんだろう」。そんな作家が幻冬舎から小説を出した、というのが意外だった。三章に分かれていて、それぞれ主人公が小学校、中学校、高校と成長してゆく構成だ。私は去年に活字になった青…

十年前の「文学界」2月号を読んだ

明治初期の国学系雑誌「大八州学会雑誌」というのを読んだことがある。大森貝塚の発見などによって歴史の考え方が大きく変わる時代だ。しかし、大八州学会はそんなこと認めない。ざっと要約すると、「古事記や日本書紀のありがたい書物と、土の中からいまさ…

去年と今年の新潮新人賞、特に選評

飯塚朝美は三島由紀夫っぽい。いまどき珍しい本格志向である。昨年に新潮で新人賞を獲った「クロスフェーダーの曖昧な光」には『金閣寺』が使われていた。この時の選評は後に「群像」の「侃侃諤諤」でも話題になったように、ほとんどの選考委員がとげとげし…

「文学界」9月号、対談みっつ。

こないだの芥川賞はいかにも磯崎憲一郎に取らせようという布陣で候補作が選ばれ、順当に磯崎「終の住処」が取った。記念対談ということで保坂和志が相手になっている。最初の話題は、朝日新聞が受賞作をどう要約したか、だ。 ともに30歳を過ぎてなりゆきで…

新潮昨年11月号、飯塚朝美、週刊朝日6月26日、東浩紀

あなたを望んで産んだわけではない、と親に言われた娘の気持はどんなだろう。少なくとも、親はそんなことを言うべきではない。しかし、往々にして文学新人賞の選評にはそんな文句が現れる。しかも、親の眼に映る子ども像の多くは実像であるのに対し、選考委…

群像5月号、磯崎憲一郎「絵画」

いくつかのブログで磯崎憲一郎「絵画」が好評である。よくわからないまま読み抜けてしまった私だが、読み返す気になった。すると、やっぱりわからない。不思議である。同じ作家が「新潮」六月号に「終の住処」を書いている。こっちは普通のスタイルだった。…

すばる5月号「文芸漫談」奥泉光いとうせいこう「後藤明生『挟み撃ち』を読む」

私にとって、後藤明生というと『挟み撃ち』(1973年)の作家であり、なんでそうかというと、蓮實重彦の熱烈な頌があるからである。1975年初出で後に『小説論=批評論』所収の「『挟み撃ち』または模倣の創意」がそれだ。一言だけ引用すると、主人公の「わた…

イーストウッド『グラン・トリノ』、蓮實重彦

ある町に、ならず者の集団がいる。そして、正しく生きようとしてる家の姉弟を脅かす。ここで昔ながらのアメリカ映画なら、ヒーローの登場である。ならず者を皆殺しにして、最後に「おれはもうこの町にいられねえ」とか言って去ってゆく。では現代映画なら?…

第50回毎日芸術賞、吉増剛造『表紙 omote-gami』

現代詩の終りはいろんな風に実感できる。たとえば、一年ぶんの「現代詩手帖」を並べてみれば、特集される詩人はとっくに偉大か、亡くなっているかだ。正確には「現代詩史手帖」と呼ぶべきか。私だって新しい人を特集する方が面白いとは思ってない。昔の人を…