「新潮」十一月号、長谷川郁夫「吉田健一」(第一回)

吉田健一はなかなか読み切れない。文章が読みづらくていけないのだ。たまに読むと10/03/14 に書いたように、私は感激する。長谷川郁夫が彼の評伝を「新潮」で連載し始めた。来年の生誕百年に合わせたのだろう。長谷川は小澤書店の社長だったから吉田と付き合…

中之島国立国際美術館、束芋「断面の世代」展、ほか

こないだ奈良に行ってきた。興福寺の展示が変わった国宝館を見たかったのだ。昨年まで阿修羅様をはじめとする八部衆はガラス戸の向こうに並んでいた。病院の人体模型のようで風情が無かったのである。今は、うす暗い部屋の効果的な照明で浮き上がるように設…

吉田健一『詩と近代』(1975)冒頭

まづ近代の特徴から入る。めんどくさいから、彼の旧字旧仮名は踏襲しない。「その性格はある集団が文明に達したことがさらに精神を刺激してその一層の働きを促した結果がその働きという形で認められるにいたり、それがどういう形のものでも受け入れられなが…

吉田秋生『海街(うみまち)diary 3』

漫画を読まなくなって何年もたつが、これだけは買っている。第一巻が2007年、第二巻が2008年、そして第三巻がやっと出た。鎌倉に姉妹だけで暮らす家族が主人公だ。『BANANA FISH』のような波乱は絶対に無い。しみじみほのぼの小ぢんまりとした作品である。鶴…

1月号の閑話。

応援してる新人がふたり(さんにんか)、対談したりインタヴューを受けたりしている。どっちも相手がぱっとせず、さえない内容だが、最近の新人としてはこんな半分素人っぽいのがいいんだろう。簡単なメモとして記しておく。 ひとつは「すばる」一月号で藤野…

師走の一番、金原ひとみ『憂鬱たち』

帰省中で手元に資料が無いから今月の一番は適当に。「新潮」で連載されていた「四方田犬彦の月に吠える」の最終回「アドルノ事始め」が面白かった。内容はあんま覚えてないから別のを選ぼう。金原ひとみ『憂鬱たち』を。精神科に行かねばならない女性が主人公…

吉村萬壱『ヤイトスエッド』など

生活とか自分の存在とか、現代文学ではそういったものがいかにもろいか、それにまつわる不安がよく描かれてきた。実際はどうだろう。なかなか崩れるものではない。もっとも、日常と自我を維持しようと努力するようでは続かない。むしろ、とことん崩れても、…

吉田篤弘『圏外へ』

吉田篤弘『百鼠』(2005)が気に入って、彼の小説はもちろんクラフトエヴィング商会もたくさんそろえた。熱中したわけだが、どうもその後がぱっとしない。『圏外へ』が出たので、これが駄目ならもうお別れだ、と思って買った。作家が主人公である。彼は自分…

長月の一番、吉浦康裕「イヴの時間」

こないだふれた村上裕一のゼロアカ最終論文が「イヴの時間」に言及しており、これは何のことだ、と思って検索したら、ネットで配信されてるアニメだった。第一話しか見られず残念だったが、このたび全六話が完結したのを機に第二話からも再配信され、ぜんぶ…

古井由吉『漱石の漢詩を読む』

吉川幸次郎『漱石詩注』は岩波文庫に入っているが、二十数年前は岩波新書だった。そして品切れだった。古本屋で三千円もしたものである。なんとか安いのを見つけて買えた時はうれしかった。しかし、読んでもよくわからない。『漱石詩注注』があればなあ、と…

吉増剛造『キセキ-gozoCine』

言葉で書いた通常の詩はとうぶん書かない、と吉増剛造は述べているらしい。『表紙 omote-gami』を読む観るだけで、私にも想像できたことではある。かわりに彼が2006年から始めたのが、デジタルビデオカメラによる短編映画だ。「ゴーゾーシネ」と名付けられた…

第50回毎日芸術賞、吉増剛造『表紙 omote-gami』

現代詩の終りはいろんな風に実感できる。たとえば、一年ぶんの「現代詩手帖」を並べてみれば、特集される詩人はとっくに偉大か、亡くなっているかだ。正確には「現代詩史手帖」と呼ぶべきか。私だって新しい人を特集する方が面白いとは思ってない。昔の人を…

第60回読売文学賞、黒川創『かもめの日』、文学界3月号、吉村萬壱「独居45」

「わたしはかもめ」は最初の女性宇宙飛行士テレシコワの声だと思うと、はつらつとした印象をもって聞こえる。しかし、彼女は当時の国策にがんじがらめにされていただろう。いや、もともとはチェーホフ『かもめ』のニーナの声だ。清純さを失い、精神的にもど…

2月号、新潮、橋本治「巡礼」、群像、吉村萬壱「不浄道」

私が以前に文芸誌をよく読んでいた二十年ほどの昔は、ちょっと現代的な感じを出そうとしてる小説には、ゲイと右翼がよく登場していたものだ。これからの小説に流行るのはゴミ屋敷、部屋を汚す女かもしれない。楊逸「ワンちゃん」にもちらっと出てくる。そん…