川上未映子『すべて真夜中の恋人たち』(2)

 一九日の「読売新聞」夕刊に川上未映子のインタヴューが載った。『すべて真夜中の恋人たち』について、こんな質問を受けている、「今作では「光」が重要なモチーフになっていますね」。未映子の答えはこうだ。

 見えるものと見えないもの、今あるけれどいずれはなくなってしまうもの、そういったことがいつも気になるんですよね。(改行)それは私たちの生そのものに対する驚きと問いみたいなもの。光というもの一つにしても、その都度その都度では分かるんだけれども、正体が何であるかまだ分からない。命もそうですよね。(改行)でも確実に私たちはそれを毎日体験していて。私にとって、人生を思ったり考えたりするときの本質的なものだと感じるから、気になるんだと思います。

 主人公と男性は光について語り合う。それは命や人生について語り合うようなものだったのだろうか。そんな感じはあった。ただし、男性が主人公に教えてくれる光の話は、物理学の対象としての光である。主人公の語り合いたい光とは異なる気がする。男性は、「おなじ光について話していると思いますよ」と言う。実際はたぶん違う。主人公は自分に無縁の話を受け止めようとして、本当はどうでもいい本を無理して読み、自分の望む光をつかめずにいる。われわれが命や人生について知りたいと思い、どうでもいい哲学書を読んで途方にくれてしまうのと同様に。
 二人の光が重なるように思えるのはショパンの子守唄を介したときだ。この曲が「まるで光のイメージなんです」と男性は言う。このCDの「ジャケットには濃紺を背にしてまだ幼さの残る男性がピアノを弾いている写真が使われていた」。その一曲目が子守唄なのだ。辻井伸行『debut』に違いない。主人公は子守唄ばかり何度も延々と繰り返し聴く。一九日のインタヴューで川上未映子は『debut』についてこう言っている。

 真夜中に満ちている光を音に置き換えることができたなら、きっとこんな風に鳴るんだろうなと思わせてくれる、とても美しい旋律。今回の小説を書きながら、気づけば3000回以上、聴いていました。

 目の見えない奏者の音楽に「真夜中に満ちている光」を感じている。アマゾンで『debut』を検索したら、子守唄の動画を見ることができた。主人公は、「そのメロディにはほんとうに光の感触がみちていて、何かをやさしく指さすように、何かをそっと導くように、ひとつひとつの音が目を閉じればやってくる淡い闇のなかを瞬くのがみえるようだった」と思う。そして、「その音楽が鳴っているかぎり、わたしは何もおそれることなく、どこまでもすすんでいくことができた」とも思う。命に、人生に触れる、とはこういうことなのだろう。このかわいい音楽自体は力強く励ますものではない。