「新潮」十一月号、長谷川郁夫「吉田健一」(第一回)

 吉田健一はなかなか読み切れない。文章が読みづらくていけないのだ。たまに読むと10/03/14 に書いたように、私は感激する。長谷川郁夫が彼の評伝を「新潮」で連載し始めた。来年の生誕百年に合わせたのだろう。長谷川は小澤書店の社長だったから吉田と付き合いのあった人だ。せめてこれでも読んでおきたい。
 連載第一回は若い吉田が留学から帰って、青山二郎小林秀雄などを中心とする文学青年たちと知り合った頃を描いている。酒を飲んでは文学を語り、語るというより、議論を吹っ掛けて、相手が泣くまで罵り、泣いたらさらに罵り続けるという「青山学院」の様子を、参加者の回想によって再現している。井伏鱒二は、「おれはさんざん小林にからまれたのが忘れられない。死んでも忘れられないんだ」と言っている。中島健蔵は、「泣いちゃ負けだと思うもんだから一生懸命我慢したけど、時にはどうしても泣かなきゃいけないようなひどいいじめ方だったね」と言っている。
 大岡昇平中原中也などの中にいて、吉田はあまり目立たなかった。ありていにいえば、見込みの無いつまらない奴だった。吉田が「この人についていこう」と思ったのは河上徹太郎だった。文壇政略的な攻撃性の強い小林よりも、精神のはたらきに余裕の感じられる河上に好感を抱いた、と長谷川は述べている。河上も吉田に目をかけてやった。
 当時の読書として森鴎外に心酔していたことが書かれている。以下、本人の言によると、「現代の日本語を用ゐて達しうる完璧さ」を示されたとのこと。鴎外を薦めたのは河上だった。また、ヴァレリイを読んて受けた影響を「生涯を通しての決定的なものだつたかも知れない」と述べている。ヴァレリイが「厳密」であり「正確」であるとはよく言われたことで、吉田が関心を持ったのは、「その厳密や正確を目指してこれを実現した人間がどのやうな形で所謂、普通の人間と少しも違はないものか」であった。
 彼の天津やケンブリッジでの経験についても、もちろん長谷川は書いている。ほか、私が驚いたのは吉田の記憶力だ。古典をよく諳んじ、また、外国語をさらさらと習得してしまう。この連載の第二回は二月号である。待ち遠しい。