「新潮」十一月号、柄谷行人「哲学の起源」(5)

第五章 イオニア没落後の思想(2)「3パルメニデス パルメニデスは「有るものは有る、有らぬものは有らぬ」で知られる。エレアのゼノンはその弟子で、アキレスと亀の逆説で知られる。柄谷行人はこの二人をワンセットで考えてパルメニデスを論じた。すると、まづ見えてくるのが、彼の政治性である。ピタゴラス的な観想とは無縁の思想家であった。「有らぬものは有らぬ」とは、仮象を超えた「有らぬもの」を観想することへの拒否と関連している。ピタゴラスに始まりプラトンに受け継がれてゆくことになる、「真の知は仮象を超えた世界に存する」という、いわば正統的な哲学をパルメニデスは退けた。
 パルメニデスは「有るものは一である」と述べた。これは物質が生成変化し運動することを否定したように聞こえる。実際は逆なのだ。ゼノンの逆説を想起しよう。これもよく解説されるような、運動を否定した屁理屈ではない。ピタゴラス派のように「時間や空間を無限に分割できる」と考えれば逆説に陥り、運動というものが不可能に思えてしまう、と述べているのだ。彼の逆説は、運動を可能とするような思考を要求しているのである。そこで、万物は分割できず、「有るものは一である」と考えられる。

 今(現在)は過去と未来の間にあると考えられる。しかし、それは今を事後的に見ることである。「今」というとき、すでにそれは過去である。真の今においては、未来や過去だけでなく、「今」さえもない。それが、パルメニデスのいう「一なる有」である。つまり、それは、運動や生成変化をその最中において見ることを意味する。

 ピタゴラスの始めた哲学は理性の仮象を生みだすことだ。それはゼノンの逆説に追い込まれる。あるいは、そのような逆説によってしか、ピタゴラスの始めた哲学を批判できない。柄谷の言いたいことは明瞭である。パルメニデスはカントの先駆なのだ。
 「4エレア派以後」 パルメニデスの「一なる有」が含意するのは「無からの生成を否定し、始原物質の不変性を前提すること」だ。エレア派はイオニア自然哲学を否定したのではなく、むしろ、取り戻そうとしている。エレア派のあと、それを受け継ごうとした者の課題は、一なる始原物質がいかにして多様なかたちをとりうるのか、だ。エンペドクレスの四元素「火、空気、水、土」がその最初の答である。続くアナクサゴラスは元素が無数の原子論を考えた。
 ところで、エンペドクレスは四元素よりも小さな元素を考えてはいた。にもかかわらず、原子論には進まなかった。四元素レベルの事象を原子レベルに還元して説明することはできないからである。これは、エンペドクレスが四元素によって社会や歴史を説明したことを考え合わせると、意味が深い。現代主流の社会科学のように個体レベルでの集合として社会を考えてはいけないことを、彼は知っていたことになるからだ。『世界史の構造』などで柄谷自身が述べてきた「四交換説」はエンペドクレスに近い。
 政治性を有し、ポリスに立脚した思想家は、エンペドクレスが最後になった。彼の後はアテネが帝国的な性格を強め、各地のポリスの自律性が弱まり、思想家たちは自由な移動において選んだポリスではなく、政治経済の中心地アテネで活動するようになる。そしてアテネで外国人は市民になれなかった。したがって、思想家たちは非ポリス的、非政治的になる。彼らの思想は、原子論的な個人主義か、ポリスの社会的関係を離れたコスモポリタニズムになる。
 感想。次回が最終回だという。最後はきっとソクラテスに違いない。前回ですでに述べたような、私が以前から指摘してきた柄谷思想の欠点が、克服されているとますます感じる。次の一節を引用しておく、「もともとイオニア系の思想家は、植民者の子孫であり、自らも移動したので、たんにそこに生まれたという理由から、一つのポリスにこだわることはなかった。彼らがこだわったのは、彼らが選んだポリスがその選択に値するものとしてあることだった。そのためなら、彼らはポリスに忠実であり、命を賭けてそれを守ろうとした」。彼がこれまで論じてきたことでは、神との契約や信仰、預言者として選ばれてしまうこと、などが関連するだろう。ポリスを選ぶとは、ポリスに選ばれる、という側面もあるはずで、そうでなければ、命を賭けるほどのポリスへの忠誠もありえない。この関連づけ自体は柄谷自身によっては書かれていない。