新潮昨年10月号、東浩紀「ファントム、クォンタム」、連載第三回

 私は苦手分野について嫁にいろいろ教わっている。彼女は腐女子なのである。彼女に頼んで、東浩紀が『ゲーム的リアリズムの誕生』で言及している「Air」をやらせてもらった。すると、「往人」がその登場人物であった。「Clannad」も見せてもらった。「風子」や「渚」が登場人物だった。嫁の一言は、「『ファントム、クォンタム』って二次創作じゃん」。
 第二回で本格的に話が動き始める。往人Aの人格は往人Bの体に移されてしまう。ぢゃあ往人Bの人格は、となると、往人Aの体に移されたらしい。つまり、世界AとBで往人の人格交換が行われたのだ。2009年に誕生する往人Aの息子、大島理樹(りき)の仕業である。
 いまの段階で想像すると、逮捕されたのは交換後の往人Bである。彼の行方不明には、おそらく、ある女性が関わっている。往人Aに「電話を切って!」と叫んで人格転送を止めようとした女性だ。このさき、彼女の関与によって、往人Aと往人Bは対面するのではなかろうか。ほんとにそうなったら二人はどんな会話を交わすのか、私は楽しみにしてる。
 Aにおいて十九年前、往人Aは少女に性的な暴力を加えている。そして、その少女、楪渚(ゆずりはなぎさ)と往人AはBで再会する。ただし、十九年前の少女は渚Aであり、Bで会うのは渚Bだ。だから、往人Aは渚Bに責任を負う必要は無いかもしれない。もともと往人Aは往人Bを別人のように意識しているからなおさらだ。しかし実感として、往人Aは渚Bに対し負い目を感じざるを得ない。
 『地下室の手記』の主人公、というより、引きこもりやニートを想定した方がいいかもしれない、彼らを「社会工学的に掬い上げるテクノロジーがある」と、往人Bは主張する。簡単に言えば、彼らがどんなに役立たずであろうと、他の世界CやDやEなどでは偉大な貢献を成し遂げていることもあるわけだから、そうした可能性も勘定に入れて、彼らを評価すべきだ、ということだ。
 たしかに世界Aにおける引きこもりAが世界Bでは英雄Bになっていることもあるだろう。引きこもりAと英雄Bは別人だとはいえ、往人Aが往人Bの犯行に負い目を感じるのといくらか似た事情で、引きこもりAが英雄Bを誇らしく思うのはありそうに思える。往人Bはそこに持論の成立する余地を見出しているのかもしれない。
 だが、私は思うのだが、引きこもりAと英雄Bが対面したらどうだろう。それでも引きこもりAは英雄Bの業績を我がものとして英雄Bに対して誇れるだろうか?むしろ、互いに別人であることを実感するのではなかろうか。実際の量子論の示唆する並行世界がどうあれ、本作での描かれ方ではそうだと思う。