2009-07-01から1ヶ月間の記事一覧

文月の一番、新潮8月号、東浩紀「ファントム、クォンタム」最終回(その2)

たくさんの読み違えを重ねつつ「ファントム、クォンタム」について書いてきた私だが、連載第一回から『存在論的、郵便的』との関連を指摘できたのは数少ない正解のひとつだ。「文学界」で連載中の「なんとなく、考える」第十三回(八月号)で浩紀はこう書い…

新潮8月号、東浩紀「ファントム、クォンタム」最終回(その1)

ついに最終回である。私の期待も予想もほとんど裏切られて、その点では不満も敗北感も大きい。でも、それはどうでもいいことだ。私は『1Q84』と比べながら読んで、並行世界や可能世界について考えた。東浩紀よりも村上春樹の方が話上手だが、この問題につい…

「文芸」夏号、中村文則「掏摸(スリ)」

変った職業を題材にする時は近代文学の手法が活きるはずだ。リアリズムにせよ、象徴主義にせよ。「文芸」夏号の中村文則「掏摸(スリ)」はその好例である。 参考資料にブレッソン『スリ』のDVDが挙がっていた。小説での財布を抜き取るリアルな指使いは、た…

庵野秀明「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」

私は四十を半ばも過ぎて昨年に初めて「エヴァンゲリオン」を見た者である。それがまた初めて東浩紀を読むきっかけにもなった。ふたまわり近く年下の嫁の影響だ。庵野秀明という名を何十年も記憶にとどめていたこともある。私にとって彼の名は「風の谷のナウ…

『1Q84』まつり「群像」「文学界」8月号

八月号は「群像」と「文学界」が『1Q84』の特集を組んでいる。前者は安藤礼二、苅部直、諏訪哲史、松永美穂の座談会と小山鉄郎の小論。後者は加藤典洋、清水良典、沼野充義、藤井省三の小論である。ほかにも、河出書房が斎藤環や四方田犬彦など三十六人の発…

閑話。

三好達治の若い頃の言い草は、「関東が関西より秀でているのは寿司と落語だけだ」。いまは関西の寿司もなかなかだと思う。落語に関しては、どうだろう、東だろうと西だろうと今なら達治は話題にさえしないかもしれない。私は関東から関西に移ってもう十数年…

斎藤環『関係の化学としての文学』

ラカンを読もうとして私はいつも挫折した。解説書は何冊か読めたけど、ラカンは読めなくてもいいや、と思わせた。斎藤環『生き延びるためのラカン』で初めてラカンを面白いと思えたものである。 小説を筋立てや設定、登場人物、文体で批評する例はよくあるが…

新潮7月号、東浩紀「ファントム、クォンタム」、連載第七回

明日に「ファントム、クォンタム」の最終回が出る。その前に第七回についても書いておこう。もっとも、この回は筋書き上は最終回へのつなぎの章でしかない。粗雑ながら、今日しか考えられないことを書き留めておく。第一回で扱った村上春樹「プールサイド」…

新潮4月号、東浩紀「ファントム、クォンタム」、連載第六回

村上春樹『1Q84』と東浩紀「ファントム、クォンタム」の世界観の違いは、可能世界と並行世界の違いである。簡単ながら前回の更新でふれた。たとえば、あるベテラン軍人に若いころは神父になる可能性があった場合、その事態を可能世界として考える限り、それ…