2010-09-01から1ヶ月間の記事一覧
砂漠に派遣されたアメリカ兵たちの話である。任務が変わってる。指定された場所に着くと、アメリカ女が居る。民間人だ。彼女はそこで深い穴を掘る作業の指揮をとっている。何のために?夫を探すためだ。行方不明になった夫は何日も砂中を移動しているという…
「現代詩手帖」7月号が文月悠光(ふづきゆみ)の特集だった。私はこの人の良さがあまりわからない。特集記事を読めば納得がいくかな、と期待したのである。結果、やっぱわからん。もちろん悪くはない詩人だ。「うしなったつま先」の冒頭二行「靴がない!/…
子供の頃に夏を過ごした別荘が無くなる、という話だ。二年前に軽井沢タリアセンに移築された朝吹山荘をちょっと連想させる。ほか、こんな場面が気になった。「これかけていい?」 和雄がカセットテープをかえる。聞き覚えのない音に春子が曲名をたずねる。「…
A、B、C、Dという四人の子供の話を福永信はあちこちで書いている。このブログで扱ったものでは「午後」がそうだ。それらをひとまとめにした本が『星座からみた地球』である。小さいけど、装画と装丁を三十三人で担当した洒落た本だ。一頁弱かけてAにつ…
書店で久しぶりに写真集の棚をのぞいてみた。今年のものでは、藤岡亜弥『私は眠らない』の表紙が衝撃的であった。祖父の頭部を真上から撮ったようである。悩んで、別の一冊、城林希里香『Beyond』を買った。画面のほとんどが空である。下の方、4分の1か5…
最後に繰り返せば、文学の終りを口にする割りには終りのイメージが貧しい。終りをもたらす「敵」の佐藤友哉のイメージはこうだ。 「蝮のすえ」には、童貞臭がしないのです。(略)登場人物の年齢や関係、活動理由などは明らかに「大人」のそれで、青春汁の薄…
繰り返せば、文学の終りを口にする割りには終りのイメージが貧しい。ある作家の本が本屋から消えれば、その作家の文学は終わった、それに尽きる。柄谷行人「近代文学の終り」冒頭と比べてみよう。 今日は「近代文学の終り」について話します。それは近代文学…
昨年に佐藤友哉「デンデラ」が芥川賞の候補にならなかったのは意外だった。けっこう話題になったのに。作者本人も思うところがあったに違いない。芥川賞計画なんて始めている。芥川賞の傾向を分析し、ネットを中心に意見や発想を募集して小説の大枠を決め、…
主人公倉渕は首に腫瘍のできた作家で、兄夫婦を伴い、手術の説明を受ける。そこを引用する。私小説だろう。事実の報告を主とした体験記でないのは確かだ。文学的な主題がはっきりしている。この作品にもマニュアル通りの説明をする医師が現れる。前回に触れ…
三十年近くの昔、学生の頃は日本の近代詩が好きだったので、フランス語を知らないながらに象徴主義、特にマラルメへの敬意は持っていた。ブランショ『文学空間』の権威も余韻としてはまだ残っていて、だから、秋山澄夫訳の『骰子一擲』とか『イジチュール』…
母ががんになった体験記などいつもは読まないけれど、たまたま私の近親者にがん患者が続けて出たので、「文学界」九月号の小谷野敦「母子寮前」を最初の方だけ読んだ。肺がんの場合、3センチが手術できるかどうかの目安になるそうだ。ほか、やっぱり同じ立…
以下、中上健次の物語論の引用である。彼は物語を「法・制度」として考える。実は、最も重要なその点はこの長い引用でも紹介しきれない。本書よりは、講演「物語の定型」や蓮實重彦との対談「制度としての物語」などを参照すべきだろう。また、蓮實の『枯木…
私は中上健次を真面目に読んだことが無い。ざっと目を通してるだけなので、彼が物語を守ろうとしているのか壊そうとしているのか、よくわからなかった。久しぶりにこの本を読み返し、次の言葉に出会えば答は明瞭である。中上 いまのように人がうたいまわって…
たくさんの本を実家に置いている。それを読むのが帰省の楽しみである。この夏は柄谷行人と中上健次の『小林秀雄をこえて』(1979)を読んだ。対談と評論みっつを載せた本だ。村上春樹が『1Q84』を解説してるインタヴューをいくつか読んでるうちに、物語が気…