2010-03-01から1ヶ月間の記事一覧

弥生の一番、青山七恵『魔法使いクラブ』

青山七恵とか津村記久子を読むとよく思う、「また芥川賞を取るつもりなんだろう」。そんな作家が幻冬舎から小説を出した、というのが意外だった。三章に分かれていて、それぞれ主人公が小学校、中学校、高校と成長してゆく構成だ。私は去年に活字になった青…

早稲田文学、第三号、中沢忠之「メタフィクション批判宣言」

鹿島田真希『ゼロの王国』の書評や紹介をネットでいくつか見た。「産経ニュース」(六月二一日)を例にとろう。 榎本正樹が書いた。「鹿島田はデビュー以来一貫して「聖なる愚者」を重要な人物モデルとして描き続けてきた」「吉田青年の回心のプロセスを通し…

大江健三郎『水死』読了

「死んだ犬」を投げつける演劇の上演をめぐって対立する賛成派と反対派を見ている作家の小説、ということだろうか。その場合、作家と息子との不和がどう関わるのかよくわからない。大江健三郎個人の事情なんだろう。「読売新聞」の時評(一二月二九日)の「…

小谷野敦『中島敦殺人事件』

何年も前に中島敦『山月記』は研究論文をいろいろ読んだ。クレス出版『中島敦『山月記』作品論集』(2001)を使った。木村一信の作品論がそれまでの研究史の成果の積み重ねの上に立つ到達点で、これを超えるものはなかなか出ないだろう、と思った。主人公李…

土曜「読売新聞」水村美苗「母の遺産」第十回

大阪朝日新聞の嘱託だった坂田三吉は字が読めなかった。社員に頼んで夏目漱石の連載を朗読してもらうのを楽しみにしていたという。似たような話を他にも聞いたことがある。最先端の書き言葉がそこにはあった。まあ昔のことだ。いまの新聞小説は株式欄かなん…

トキと33歳

佐渡のトキ保護センターでトキが九羽も死んでしまったという。どうもテンが施設内部に入り込んだらしい。調べると、ケージは穴だらけだったようだ、「金網の網目より大きなすき間が260カ所以上見つかっている」(毎日新聞三月一六日)。おかげで面目まる…

オルハン・パムク『白い城』(宮下、宮下訳)

一九八五年のトルコの小説が昨年の十二月に翻訳されて出た。舞台は十七世紀後半オスマントルコのイスタンブールだ。主人公が一人称で語る回想記である。彼はイタリア人だ。物語は、彼が海賊に捕われ、「師」の奴隷になるところから始まる。ただの奴隷ではな…

「新潮」3月号、星野智幸「俺俺」最終回

文学の終りをテーマに始めたこのブログは、『1Q84』や『クォンタム・ファミリーズ』(「ファントム、クォンタム」)を話題にしてるうちに、だんだん「複数の世界」や「複数の私」も気にするようになってきた。昨年は、並行世界とか、もう一人の自分とか、そ…

吉田健一『詩と近代』(1975)冒頭

まづ近代の特徴から入る。めんどくさいから、彼の旧字旧仮名は踏襲しない。「その性格はある集団が文明に達したことがさらに精神を刺激してその一層の働きを促した結果がその働きという形で認められるにいたり、それがどういう形のものでも受け入れられなが…

「新潮」3月号、松本圭二「詩人調査」

「新潮」三月号が巻頭で変わった特集をしていた。五十二人の作家がリレー形式で一週間づつ担当して、昨年一年間の日記を完成させるのである。ざっと眺めた程度の感触を言うと、当然と言えば当然なのだが、借金の話が無い、芸者遊びの話が無い、結核になって…

閑話(その2、一般意志2・0)

評論に逆説が減って読みやすくなるのは九〇年代くらいだろうか。個人よりも社会が論じられるようになったのもその頃らしい。「僕が院生時代を過ごした一九九〇年代半ばの思想的雰囲気をひとことで言えば」と東浩紀は書いている、「多くの人が指摘するように…

閑話(その1、逆説の消失)

二十数年ぶりに江藤淳『成熟と喪失』(一九七八)を読んだ。最初の方、安岡章太郎『海辺の光景』を論じたあたりである。いつまでも子離れできない母親が子を成熟させない、それが日本的な母子関係であると江藤は考えた。『海辺の光景』は格好の素材だ。ただ…

十年前の「文芸春秋」3月号を読んだ

東京大学総長蓮實重彦のインタヴューがあった。「国立大学独立行政法人化への反論」と題されている。「独立行政法人化の問題は、大学改革の論議とはまったく別に、行政改革の流れの中で突如、国立大学も行政の一環だからというくくり方でその対象に組み入れ…