2010-01-01から1ヶ月間の記事一覧

睦月の一番、「群像」1月号、松浦寿輝「塔」

平岡ものである。昨年一月号の「川」については前に書いた。ほか「新潮」七月号「鏡よ鏡」がある。昨年の文芸五誌に載った平岡ものはこれが全部だ。三作目ともとなると、私も読み慣れてきた。もう市ヶ谷の事件と関連させて読んだりはしない。それでも、「川…

「すばる」一月号、福永信「一一一一」

題名はマンションの一一一一号室からきている。同じ趣向の「一一一三」が「文芸」春号に載っている。私は本作の方が好きだ。 マンションのエレベーターで顔を合わせた男性二人の会話である。といっても、年上の方が一方的に語り、若い方はほとんど「ええ」「…

「群像」1月号「寂聴まんだら対談」

新年号では瀬戸内寂聴を「新潮」と「群像」で見かけた。前者は小説、後者は対談、どちらも連載だ。小説「爛」は徳田秋声を意識した題なのかどうか、まだわからない。対談は第一回が山田詠美である。第二回の川上未映子も読んだ。どちらも罪の無い話がはずん…

1月号の閑話。

応援してる新人がふたり(さんにんか)、対談したりインタヴューを受けたりしている。どっちも相手がぱっとせず、さえない内容だが、最近の新人としてはこんな半分素人っぽいのがいいんだろう。簡単なメモとして記しておく。 ひとつは「すばる」一月号で藤野…

「新潮」1月号の対談ふたつ

いろんな二月号がぱっとしないので、積んだままの一月号をゆっくり読める。話題になった「新潮」の対談二つを。ひとつは大江健三郎と古井由吉。反戦反核の作家と内向の世代が語り合う、というのは私には違和感があったけど、古井の対談集を探したら前にもあ…

「群像」1月号「戦後文学を読む」第二回、武田泰淳

偶然で、年末から武田泰淳に関するものを読む機会が重なっている。すでに二回書いたとおりだ。ほか、古本屋で見つけた『近代文学の軌跡』(1968)がある。現代文学者に関する「近代文学」の座談会を集めた二巻本だ。その第六回が武田泰淳である。本多秋五や…

エリック・ロメール『アストレとセラドン』

エリック・ロメールが亡くなった。八十九歳だった。『アストレとセラドン』(2007)をもって引退する、と本人も言っていた後だから、映画作家としては完結した人生だろう。日本で発売された彼のDVD を私はぜんぶ持っている。だから『三重スパイ』以外はほと…

東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』(その10)

読み終わった。最後は「物語外2」である。一章だけしかなく、その章題は「i 汐子」だ。記号「i」は「ファントム、クォンタム」では第二部に使われていた。「i 汐子」にあたる章は「−1」だった。 「ファントム、クォンタム」では「ぼくは九年前には結婚…

東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』(その9)

『ファントム・ファミリーズ』公式のTwitter によると、第一刷には誤植があって「350頁1行目、誤「わからないですのか」→正「わからないのですか」」とのこと。ぜんぜん気がつかなかった。東浩紀のTwitter によると、「「量子家族」というタイトルには、「核…

十年前の「群像」1月号を読んだ。

李恢成「地上生活者」の連載第一回が載っていた。三浦雅士「青春の終焉」も連載第一回だ。さて、十年後の「群像」一月号と比べよう。「地上生活者」はまだ連載中である。書き続けた人よりも、読み続けた人を誉めたたえたい。いればの話だが。そして、三浦は…

東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』(その8)

第二部に入った。「8家族1」まで読んだ。連載では第六回にあたる。大きな改稿は無い、と思う。指摘する意味のありそうな箇所をひとつだけ。連載での理樹は友梨花に言う、「なにか重要なことを見落とし続けている気がするのです」。 ぼくたちの転送によって…