2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧
五月号の文芸誌はあんまりぴんとこなかった。古井由吉の連載が始まったとか町田康の朗読CDとか大杉栄が現代に現れるとか喜多ふありが書いてるとか川上未映子がアラーキーと対談してるとか、話題はいろいろあるんだけど、中身が物足りなかった。そこで、今…
瀬尾育夫が「現代詩手帖」四月号で岸田将幸と対談している。話題は時事や鮎川信夫や曽祖母など、いろいろである。瀬尾は『』の読後感を語った。かつて岸田の詩に私が感じたのと同じことを、好意的にとらえている。 詩的な逃げというか、イメージや詩的な修辞…
これまで岸田将幸の居る座談会についてふたつ書いた。そのどっちでも彼が苛立ってトゲトゲしいのが印象に残った。認める詩のストライクゾーンが狭いのかな、なんて思った。いや、狭い、より、無い、に近いのかもしれない。「現代詩手帖」での佐々木敦の連載…
映像文化の隆盛が活字文化を衰退させる。そんな見方に対して、ある評論家の時評が言っていた、「私は映画やテレビにくらべて、小説の運命を云々する外在的な議論を好まぬのである。映画やテレビが発達すればするほど、そういうものでは代置しがたい小説独特…
この話題を終えるのは結構大変なのかもしれない。また無視できない説が見つかった。「ユリイカ」五月号が『クォンタム・ファミリーズ』の小特集を組んでおり、その中の佐藤雄一「QF小論」によると、投瓶通信はマンデリシュタームの評論「対話者について」…
『やすらい花』は初出の段階でずいぶん読んだ。三十年ほど古井由吉を読み続けて思うに、だいたいどれも同じで、今回もそう思った。ほかのベテラン作家も似たようなものかもしれない。それは考えずにおこう。一冊にまとまって改めて読み直した。やはり最高で…
小林秀雄の講演CDはこれで八巻になった。すべて持っている。この八巻目に収められたのは「宣長の学問」と「勾玉のかたち」だ。他の七巻に比べるとやや落ちる。後者がひどいのだ。話す内容が何も無い状態で演壇に上がってぼそぼそと時間を潰しておしまいで…
作者初の長編小説とのこと。小池昌代の公式ページにあるとおりで、「主人公は、十八歳の桂子。奔放な女の子で、母のあとを継ぎ、役者のたまごとして生きていきます」、という大枠を持っている。実際は、一章ごとの完結性が比較的強く、だから、二十ページ弱…
十二月にたくさん新刊を買って読み終わらずにいたけど、『転生回遊女』でやっとひと段落である。その間にしかし、小池昌代は詩集『コルカタ』と短編集『怪訝山』を出して私を引き離してしまった。もっとも、二冊のうち『コルカタ』は軽い仕上がりで、あっさ…
俳句は素人と専門家の区別がつかないことがあって、第二芸術論でも論点のひとつになっていた。桑原武夫はこれで俳句を批判したのだけれど、素人が傑作を作れる、と考えるだけなら罪は無かろう。たとえば、もう三十年近くも昔のことだと思う、新聞の俳句投稿…
瀬戸内寂聴と山田詠美の対談があった。今年の「群像」一月号の対談も良かった。馬が合うのだろう。女流文学会の話がまた出ている。「群像」よりずっと愉快だ。平林たい子、佐多稲子などなど四十人で箱根に遊んだときのこと、まだひよっこの瀬戸内は「ちんぴ…
子供の頃に「イレーヌ・カーン像」が好きだった。新聞で複製の小さな広告画像を見かけたのである。ところが大きな画集で見ると、外国人の目鼻立ちは強烈で、髪はおどろおどろしく、どうもいただけなかった。そのうち中学高校になると、印象派より超現実主義…
昨年は埴谷雄高他の生誕百年であるだけでなく、ハイドン没後の二百年でもあったらしい。その記念としてこんな本が出ているのを知らなかった。ハイドンの交響曲の一曲ごとすべて、というより、一楽章ごとすべてに、素人向けの解説を付けてくれた親切な本であ…
単純明快に一九八四年に帰還させるということだけはさすがにしなかったようであるが、ごく普通に終わったな、という印象に変わり無い。Book1, 2 の多様性が、再会の一点にあっさり収束されてしまい、戸惑いが残った。先月二十五日の諸新聞の評をざっと並べて…