小池昌代『転生回遊女』

 作者初の長編小説とのこと。小池昌代公式ページにあるとおりで、「主人公は、十八歳の桂子。奔放な女の子で、母のあとを継ぎ、役者のたまごとして生きていきます」、という大枠を持っている。実際は、一章ごとの完結性が比較的強く、だから、二十ページ弱の短編を十八つらねた連作という印象だ。
 各章ほとんどすべてに植物や木にまつわる名が付いている。再び公式ページから引けば、「次々と男のひとを魅了しますが、彼女の魂は、とどまることを知らず、常にここでないどこかをめざしてタビ=旅に出るのです。樹木と通じ、樹木と心を通わせ、風のように。鳥のように」。
 たしかに、「次々と男のひとを魅了します」。主人公は友人から、「あんたって、どうして、そう軽々と、男と関係を持ってしまうの」と言われてしまうほどだ。といって、その快楽におぼれきるわけでもない。木を抱きしめてる方が、彼女は幸せなのだ。最後の方の老人とのエピソードのように、自分が女性として性的な存在であることを、自分からも他人からも、そして母の血からも追いつめられながら、それでいて、主人公は性を宿命のように感じてしまうタイプではない。
 仮に宿命があるとしてもそこから外に出ようとする。「彼女の魂は、とどまることを知らず」とはそういうことだ。それを「転生」と呼んだところで一巻は終わる。もう一度公式ページから引けば、「題名に桂子のすべてがあります」、すなわち、「転がり落ちながら、羽ばたきながら、自由自在に回遊する、現代の遊女の転生譚」。そうかなあ。「自由自在」と言えるほどの意志は欠いた、なりゆきと思いつきにまかせた浮遊感を、私は主人公に感じる。
 欠点は、主人公の心理描写がとても十八歳には見えないことだ。三十前後のような思慮がある。この際、公式ページをほぼ全文引用してしまうことにすると、「このあとも、書き続けていきたい女の子です。七十歳、八十歳の桂子に、わたし自身が逢いたいから」。次の機会があるということなら、今度は年齢相応の造形を期待する。