2009-01-01から1年間の記事一覧

師走の一番、金原ひとみ『憂鬱たち』

帰省中で手元に資料が無いから今月の一番は適当に。「新潮」で連載されていた「四方田犬彦の月に吠える」の最終回「アドルノ事始め」が面白かった。内容はあんま覚えてないから別のを選ぼう。金原ひとみ『憂鬱たち』を。精神科に行かねばならない女性が主人公…

東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』(その7)

「ファントム、クォンタム」を読んでいて感心したのは、東浩紀にSF作家として充分やっていける筆力があることだ。往人、友梨花、理樹、風子の哲学の書き分けが明快だった。特に私が楽しんだのは理樹と風子の対比で、私は風子を応援していた。風子は理樹の…

東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』(その6)

最近は「私の複数性」を扱う小説がなぜ多いのか。来年にゆっくり考えるつもりが、とっくに東浩紀「情報社会の二層構造」(『文学環境論集』2007年)に書かれていた。ポストモダンとその社会構造が簡潔に説明されている。二層構造とは次のようなものだ。 二一…

東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』(その5)

「7父4娘4」の途中まで読んだ。まづ「4娘2」から。「一世紀前のドイツで活躍した有名な哲学者」の言う「罪」が興味深い。「ファントム、クォンタム」では「現存在」という用語で説明されている。「罪」なんて『存在と時間』にあったっけ?「負い目」(…

東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』(その4)

「3父2」を読んだ。「ファントム、クォンタム」に関して09/07/28 でふれた疑問箇所は、「2娘1」章と同様やはり削除されていた。どちらも同じ疑問を起こす箇所だったので、それがともに削除されたというのは、偶然ではなく、よく練られた結果なのだと思う…

東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』(その3)

「2娘1」を読む。父と娘が交互に語り合う章立てのようだ。ますます村上春樹っぽいが、「ファントム、クォンタム」より構成感がくっきりして良い。「娘」の章で特筆すべき改稿点は、「あなた」への手記になったことだ。「わたしはいま、故郷の世界から遠く…

東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』(その2)

「新潮」連載時とは対照的に話題になってるようだ。作者のブログによれば、初刷が5000部で、発売日には増刷5000部が決まったとのこと。文芸誌とは無縁の読者層に支持されているのだろう。 第一部の最初「1父1」を読む。往人の結婚相手の父は「著名な字幕翻…

東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』(その1)

前にも書いたことの確認から始める。東浩紀は『1Q84』について、作者の新境地が見られない点を厳しく批判している(「週刊朝日」六月二六日号)。村上春樹は「還暦を迎えてなお『自分探し』や『父との和解』にこだわる作風」を変えずにいる、という一節がそ…

二〇〇九年の一番

あっちこっちの新聞で、書評家さんたちが今年のベスト3とか2009年の回顧とかなさっている。思ったのは、鹿島田真希『ゼロの王国』を読まずにいたのは手抜かりであった。そうか『白痴』を素材にしてるのか。そりゃ読もう。せっかくだから私も。2009年の収穫…

古井由吉『人生の色気』

今月は新刊がたまって文芸誌を読めずにいる。古井由吉『人生の色気』が出た。この人の単行本はすべて持っている。いまさら買わずに済ませられない。全六回にわたる茶飲み話を一冊にまとめた本だった。回ごとに佐伯一麦、鵜飼哲夫、島田雅彦なんて面々が同席…

「新潮」12月号、山崎ナオコーラ「この世は二人組ではできあがらない」

別れても別れたことになってない腐れ縁の男と女。女は月にいくばくかの金を貢ぎ続けて男の夢を支える。派手な展開は無い。特に芸も無い文体で、断片的なエピソードの積み重ねで、ぢわぢわ状況を変えてゆく。片方は小説家志望だ。作家自身をモデルにしたと思…

新訳新釈ドストエフスキー『罪と罰』亀山郁夫、三田誠広

亀山郁夫による新訳が出たので『罪と罰』を二十数年ぶりに読み返した。昔の読書をほとんど覚えていない。若い私はマルメラードフの露悪的な端迷惑に嫌悪感をつのらせるばかりで、飛ばし読みだったのである。ところが、いまや五〇歳に近い私はマルメラードフ…

三島由紀夫賞、前田司郎『夏の水の半漁人』

書き出しは期待させたが、読み進めるうちだんだん心配になってきた。これの受賞理由って、「誰もが通過してきたはずなのに忘れてしまった子供時代のささいな出来事の数々をみずみずしい感性によってよみがえらせた」とかなのでは。まさかねえ、と「新潮」七…

江藤淳『夏目漱石』冒頭

吉本隆明との対談で古井由吉が江藤淳について、こんなことを言っている。「江藤さんの漱石追究も、最初にこれが小説といえるんだろうかっていう疑念を踏まえていると思います。そこがすぐれたところだと思います。で、なおかつ小説だと解き明かすところが」…

霜月の一番。津村記久子『アレグリアとは仕事はできない』(2008)

三月に図書館に貸出を頼んだ本がやっと順番がきて読めた。ぎりぎりまだ一年たってない本だから、これを新刊と認定して今月の一番に。二篇収録されているうち、表題作が良い。 職場のコピー機の調子が悪い。機械が自分に悪意を働かせているのではないか、と主…

吉村萬壱『ヤイトスエッド』など

生活とか自分の存在とか、現代文学ではそういったものがいかにもろいか、それにまつわる不安がよく描かれてきた。実際はどうだろう。なかなか崩れるものではない。もっとも、日常と自我を維持しようと努力するようでは続かない。むしろ、とことん崩れても、…

吉田篤弘『圏外へ』

吉田篤弘『百鼠』(2005)が気に入って、彼の小説はもちろんクラフトエヴィング商会もたくさんそろえた。熱中したわけだが、どうもその後がぱっとしない。『圏外へ』が出たので、これが駄目ならもうお別れだ、と思って買った。作家が主人公である。彼は自分…

「文芸」冬号、文芸賞、大森兄弟『犬はいつも足元にいて』

文芸誌五誌どれかの新人賞を獲ったら次に芥川賞や三島賞などを狙う。この階段をなんとか上りきれる確率は三割ほどではないか。もちろんゆくゆくは読売賞や谷崎賞も獲らねばゴールではない。おもしろうてやがてかなしき新人賞、という気分になる。九〇年代の…

現代訳ウェーバー『職業としての学問』(三浦展訳)

1917年のドイツの講演である。大学教員のあるべき姿が説かれている。ただ、そう読んでしまうと、われわれの実感には合わない面ばかり目立つ。しかし、訳者はこれを現在の日本社会全体の文脈に置いても読めるものとして提示した。「現代訳」と銘打ってるのは…

冨永昌敬『パンドラの匣』(太宰治原作)

冨永昌敬「パビリオン山椒魚」はひどかった。新人が映画をなめた、ありがちの駄作だった。二度とこの監督の映画は見なくていいという確信を得られたのだ、決して金と時間の無駄ではなかった、そう自分を納得させて帰路についたものだ。太宰治「パンドラの匣…

永井均『道徳は復讐である』(『ルサンチマンの哲学』文庫化)その2

文庫化にあたって巻末に加えられた永井均と川上未映子の対談は、やはり面白かった。まづ、断片的な例からいくつか挙げてみよう。「ニーチェを読んで元気が出るような人間ではダメだ」なんて発言が出てくる。これが何を意味しているかは前回に書いた。また、…

永井均『道徳は復讐である』(『ルサンチマンの哲学』文庫化)その1

二十年前ほどのニーチェの解説書というと、多くはニーチェの生涯に紙幅を費やすばかりで、思想については通り一遍のことしか書いてなかった。結局、一番便利なのはドゥルーズ『ニーチェと哲学』(邦訳1974年)だ、と言うしか無かったのが私の実感である。状…

「新潮」2〜6月号、松浦寿輝の透谷論(その3)

『蓬莱曲』の一節「わが眼はあやしくもわが内をのみ見て外は見ず」が、森鴎外の訳した「マンフレツト一節」(バイロン)の「わがふさぎし眼はうちにむかひてあけり」と似ていることは知られている。両者を比較して、鴎外に安定感がある。それは鴎外が透谷の…

「新潮」2〜6月号、松浦寿輝の透谷論(その2)

連載第三一回は前置きのようなもので、北村透谷の名が現れるのは第三二回からである。話が面白くなるのは第三三回からだ。透谷の文体が分析される。寿輝の挙げる三点のうち二点を紹介しよう。 ひとつは、「然れども」の連鎖。透谷はこの逆接の接続詞を連発し…

「新潮」2〜6月号、松浦寿輝の透谷論(その1)

「新潮」は明治文学を論ずる大型評論をふたつ連載している。渡部直己「日本小説技術史」と松浦寿輝「明治の表象空間」である。どっちも私が文芸誌を読み始める前に始まっており、なにより力作だから文章がややこしい。ちらっと眺めるだけで敬遠している。「…

神無月の一番、なかにしけふこ『The Illuminated Park』

副題は「閃光の庭」。これが第一詩集らしい。古風な、どことなく定型句めいた言葉遣いが目立つ。形式感も備えた詩人で、読んでいると、賦とか、頌とか、私の頭にはそんな実はよく知りもしない用語が浮かんでくる。「エクピュローシス」なんて言葉を初めて聞…

書き直された『ヘヴン』(その4)

今回が最終回。いままで同様、削除された部分、追加された部分、私のコメント、である。 「情熱大陸」で紹介された改稿部分も記しておこう。6章177ページ。地獄があるとしたらここだし、天国があるとしたらそれもここだよ。ここがすべてだ。そしてそんなこ…

書き直された『ヘヴン』(その3)

最後まで終わらなかった。8章の途中まで。前回同様、削除された部分、追加された部分、私のコメント、である。ところで、川上未映子が出演してる映画「パンドラの匣」が気になるのだが、「パビリオン山椒魚」の監督の作品だと知って二の足を踏んでいる。テ…

書き直された『ヘヴン』(その2)

続きを。前回同様、削除された部分、追加された部分、私のコメント、である。 6章152ページ。死を思う主人公。 そしていまもこの瞬間に死んでいる人が確実にいるということを想像してみた。これはたとえ話や冗談や想定じゃなくて、本当のことなんだと、そう…

書き直された『ヘヴン』(その1)

今月に出た「文学界」「文芸」「すばる」「新潮」の全部に『ヘヴン』の書評が載っていた。しかし、そのどれも、作品を理解するという点では読むに値しない。ネットでもいろいろ読んだ。私が気になったのは、作者自身のブログ「川上未映子の純粋悲性批判」090…