柄谷行人「哲学の起源」(1)「新潮」7月号

第一章「普遍宗教と哲学」 普遍宗教については『世界史の構造』で説明された。私の要約では11/07/27 のあたりだ。簡単に言えば、政治権力と貨幣経済のもたらす不自由や不平等に対抗するため、それらの無かった共同体の時代を現代的に回復しよう、という運動…

小島信夫『漱石を読む』(一九九三)、佐藤泰正『これが漱石だ』(二〇一〇)

ひさしぶりに『明暗』を読みたい、なんて思いついた。どこが日本近代文学の最高傑作なのか、私にはよくわからん小説である。『道草』の方が素敵ぢゃないの、と思ってきた。いますぐ読み返したら同じ感想を得るだけだろうから、ちょっと予習しよう。昨年に出…

「群像」一月号、蓮實重彦「映画時評」25

先月は帰省したついでに『ゴダール・ソシアリスム』を見に行った。どんよりと見終える。『東風』とか『中国女』のほうがまだマシだったなあ。『アワーミュージック』が最後の傑作ということにしましょう。神田の古書街にも寄った。日本近代文学が小宮山書店…

「群像」9月号、佐藤友哉「ハサミムシのすえ」(2)

繰り返せば、文学の終りを口にする割りには終りのイメージが貧しい。ある作家の本が本屋から消えれば、その作家の文学は終わった、それに尽きる。柄谷行人「近代文学の終り」冒頭と比べてみよう。 今日は「近代文学の終り」について話します。それは近代文学…

クリストファー・ノーラン「インセプション」

今敏が亡くなったと聞いて、「インセプション」を見たくなった。三時間近いということで敬遠していたのだけど、他人の夢に侵入する映画という点で、それを見ることが「パプリカ」の監督をしのぶよすがになるような気がした。三時間はあっという間であった。…

「新潮」7月号、討議「東浩紀の11年間と哲学」

東京大学で行われたシンポジウムの記録である。東浩紀と『アンチ・オイディプス草稿』の共訳者、國分功一郎と千葉雅也が、『クォンタム・ファミリーズ』を、『存在論的、郵便的』の続編として読めるという観点から論じ合った。この線で初めて語り合えるまと…

小林秀雄講演CD『宣長の学問/勾玉のかたち』

小林秀雄の講演CDはこれで八巻になった。すべて持っている。この八巻目に収められたのは「宣長の学問」と「勾玉のかたち」だ。他の七巻に比べるとやや落ちる。後者がひどいのだ。話す内容が何も無い状態で演壇に上がってぼそぼそと時間を潰しておしまいで…

新訳新釈ドストエフスキー『罪と罰』亀山郁夫、三田誠広

亀山郁夫による新訳が出たので『罪と罰』を二十数年ぶりに読み返した。昔の読書をほとんど覚えていない。若い私はマルメラードフの露悪的な端迷惑に嫌悪感をつのらせるばかりで、飛ばし読みだったのである。ところが、いまや五〇歳に近い私はマルメラードフ…

『1Q84』まつり、補遺。

『1Q84』のガイド本をさらに三冊読んだのでざっと。洋泉社MOOK『「1Q84」村上春樹の世界』は一番便利だった。地図とか写真とかあって資料集として使える。これだけは買ってあげた。村上春樹研究会『村上春樹の『1Q84』を読み解く』は急いで作った雑な本。5…

『1Q84』まつり「群像」「文学界」8月号

八月号は「群像」と「文学界」が『1Q84』の特集を組んでいる。前者は安藤礼二、苅部直、諏訪哲史、松永美穂の座談会と小山鉄郎の小論。後者は加藤典洋、清水良典、沼野充義、藤井省三の小論である。ほかにも、河出書房が斎藤環や四方田犬彦など三十六人の発…

六〇年代や七〇年代を語る三冊

初期の吉本隆明をまとめて読んだとき、もう具体的には思い出せないが、批評と批評の間で言ってることが矛盾しており、何度か戸惑った。すが秀実『吉本隆明の時代』(2008)はそれを、六〇年代の論戦を勝ち抜くための戦略的な変わり身として分析してくれた。…

すばる5月号「文芸漫談」奥泉光いとうせいこう「後藤明生『挟み撃ち』を読む」

私にとって、後藤明生というと『挟み撃ち』(1973年)の作家であり、なんでそうかというと、蓮實重彦の熱烈な頌があるからである。1975年初出で後に『小説論=批評論』所収の「『挟み撃ち』または模倣の創意」がそれだ。一言だけ引用すると、主人公の「わた…

群像1月号、松浦寿輝「川」

1993年の第四詩集『鳥の計画』の後書で、松浦寿輝は『吃水都市』ほかの詩集が「数年のうちに刊行されるだろう」と述べている。実際は昨年の暮にやっと『吃水都市』が出た次第である。何年も第五詩集を私は待ち、ある日、松浦が小説家に転向したのを知った。…