2009-08-01から1ヶ月間の記事一覧

葉月の一番、「群像」8月号、川上未映子「ヘヴン」

川上未映子については何度か書いた。言葉づかいは変わってるが、だいたい日常語や標準語に翻訳できる。それでも誰とも異なる理解しがたい私的感覚を持つことへのこだわりが、あの文体を書かせている。「新潮」七月号の「すばらしい骨格の持ち主は」で彼女は…

ゴーストとファントム(その2、東浩紀)

機械は心を持つのか、というのはそんなに新しい問題でも難しい問題でもない。多くの知人に「機械と人間の違いは何か」と訊いたことがある。「機械には心が無い」というのが私の予想した多数意見であり、事実そうだった。「すると」と、私は用意した第二問を…

ゴーストとファントム(その1、村上裕一)

もう大昔のこと、ディープブルーがカスパロフに勝ったとき、私の思った素朴な疑問がある。複数のCPUをつなげたディープブルーを一台と数えていいのか、それとも何台かの機械の連合体とみなすべきなのか。私の出せる答えはせいぜい「問いに意味が無い」だ…

佐々木敦『ニッポンの思想』(その2)

この本には、私の知らない話、忘れてた話、軽視してた話、がたくさんあって、それが役に立った。一例だけ挙げておこう。 「週刊朝日」の緊急増刊「朝日ジャーナル」(04/30)に、浅田彰と東浩紀とほか二名の座談会が載った。ふたりの違いがハッキリする応酬…

佐々木敦『ニッポンの思想』(その1)

私は一九八四年から本を読むようになった。柄谷行人『日本近代文学の起源』(1980)がきっかけである。そのあとでバルトやフーコーやデリダを読んだが、"第一之書"のおかげで当時の私にとって、ポストモダンとは「近代という制度の批判」だった。ポストモダン…

『1Q84』まつり続(その2)、河出の『どう読むか』

『1Q84』に関する本が何冊か出ており、これからも出る。私は河出書房新社『村上春樹『1Q84』をどう読むか』を買った。悪く言えば大急ぎで作った雑な本だが、それだけに気楽に読める文化人評判集である。 概して低調な発言が並ぶのは仕方無かろう。一例だけ挙…

閑話。

新人監督アンドレア・モライヨーリの『湖のほとりで』を観た。ここんとこ日本アニメとかハリウッド製品ばかりだったので、イタリア映画を観たくなったのである。地味な映画だったのに口コミで大評判になってしまった、というのも気に入った。話は美しい山村…

『1Q84』まつり続(その1)、「新潮」9月号

「新潮」八月号と九月号に福田和也「現代人は救われ得るか」が載った。九月号には安藤礼二「王国の到来」も載った。 いろんな書評を読んだので、それらのパターンも見えてきた。たとえば、青豆の行う正義は人殺しであって、リーダーの悪と大差無いことを指摘…

「文学界」9月号、対談みっつ。

こないだの芥川賞はいかにも磯崎憲一郎に取らせようという布陣で候補作が選ばれ、順当に磯崎「終の住処」が取った。記念対談ということで保坂和志が相手になっている。最初の話題は、朝日新聞が受賞作をどう要約したか、だ。 ともに30歳を過ぎてなりゆきで…

黒田三郎「引き裂かれたもの」(その2)

昭和二十九年五月のことである。結核患者の入退院に関する入退所基準を厳しくする、という通達が厚生省より示された。これに対する反対運動を繰り広げたのが日本患者同盟である。『日本患者同盟四〇年の軌跡』(1991)によると、五月に大阪で二〇〇名が、六…

黒田三郎「引き裂かれたもの」(その1)

少なくとも刊行一年以内の新作だけを扱うつもりで始めたブログだが、半年続けてみて、「文学の終り」についての考えが変わってきた。目前の壇ノ浦を眺めるだけでなく、月に一回くらいは古い作品を書きたくなった。まづは黒田三郎「引き裂かれたもの」なんて…