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文学がキャッチコピーみたいになってる。問題を提出するのが文学の仕事だろう。なのに、「人生を三〇字以内でまとめよ」みたいな模範解答でオチをつけようとする。そんなオチ無しでも作品は仕上がったのではないか、と思う。解答を据えないと気の済まない作…
難波のジュンク堂に出かけた。大きな書店に行ったのは年末の神田が最後だから、久しぶりだ。井上太郎『ハイドン&モーツァルト弦楽重奏曲を聴く』を買うためである。ネットで注文するのがもどかしかった。前著『ハイドン106の交響曲を聴く』の愛読者とし…
島田雅彦について、「一作でもいいから、その才能・資質にみあう形で小説を完成してもらいたいものである」と、福田和也は『作家の値うち』に書いた。それから十年たった。相変わらず島田は大家っぽい未完の大器だ。傑作を書かないのは彼の作風なんだと、も…
書店で久しぶりに写真集の棚をのぞいてみた。今年のものでは、藤岡亜弥『私は眠らない』の表紙が衝撃的であった。祖父の頭部を真上から撮ったようである。悩んで、別の一冊、城林希里香『Beyond』を買った。画面のほとんどが空である。下の方、4分の1か5…
若い女性が主人公で、彼女には好きな男Aが居る。彼女を好きな男Bも居る。彼女は男Aを追いかける。彼女は男Bを傷つけ捨てる。だが、結末近くで心境の急転回がある。それはほとんど気分的なもので、改心の理由を説明する価値は無い。とにかく、主人公は男…
花村萬月なんて読むのは何年ぶりか。「文学界」八月号に連作「色」の第三回「黄」が載っていた。「もう十年ほど前になるだろうか。書家の提言がきっかけで、手書きか、ワードプロセッサかという論争がおきたと記憶している」。おお、十年前の話なら任せてく…
結婚してからわかったのだけど、嫁は鉄子なのであった。テレビに映った小海線に私が興味を示した瞬間を見逃すわけは無い。ぱたぱたっと宿と列車が手配されて、当日は朝の五時に堺を発ち、連休初日の午前中には私たちは小淵沢のホームに立っていたのである。…
機械は心を持つのか、というのはそんなに新しい問題でも難しい問題でもない。多くの知人に「機械と人間の違いは何か」と訊いたことがある。「機械には心が無い」というのが私の予想した多数意見であり、事実そうだった。「すると」と、私は用意した第二問を…
もう大昔のこと、ディープブルーがカスパロフに勝ったとき、私の思った素朴な疑問がある。複数のCPUをつなげたディープブルーを一台と数えていいのか、それとも何台かの機械の連合体とみなすべきなのか。私の出せる答えはせいぜい「問いに意味が無い」だ…
三月にふれた中村梨々と白鳥央堂(ひさたか)のその後について。梨々は季刊「びーぐる」の投稿欄で読むことができる。ちなみに、「びーぐる」は「詩学」も「るしおる」も無くなってしまった詩壇の危機意識から昨年に創刊されたばかりの雑誌である。 もう 子…
いくつかのブログで磯崎憲一郎「絵画」が好評である。よくわからないまま読み抜けてしまった私だが、読み返す気になった。すると、やっぱりわからない。不思議である。同じ作家が「新潮」六月号に「終の住処」を書いている。こっちは普通のスタイルだった。…
二十年ほど前までは「現代詩手帖」を買い続けていた。ただし、古本屋で七〇年代やさらに昔の号をさがす方が好きだった。対談や座談会が頼もしく、鮎川信夫、吉本隆明、谷川俊太郎、大岡信が常連だったからである。一五〇円ほどだった。 私はいま、戦後詩から…