小川洋子『人質の朗読会』

南米を旅行中の日本人八人が人質になり、救出作戦が失敗して全員が爆死してしまった。こんな結末から始まる短編集である。さて、人質たちは監禁されている間に、各々の物語を語る朗読会を続けていた。それは盗聴され録音され、そして公開された。それを九本…

奥泉光『シューマンの指』(3)

永嶺修人がこんなことを言う、「シューマンが作曲を始めたのが、ポスト・ベートーヴェンの時代だったということは、決定的だったと思うな」「あの三二曲のソナタのあとで、いったいどんなふうにソナタを書いたらいいんだろう?」。ベートーヴェンの後で書く…

奥泉光『シューマンの指』(2)「『シューマンの指』音楽集」

『シューマンの指』を読んでいて、ところどころもどかしいのは、聴いたことの無い曲が言及されていることだ。同じ気持ちの読者が多いのだろう。ソニーが六枚組のCDを作ってくれた。小説に現れるシューマンをほぼ全部集めて三千円というのは便利だ。「ピア…

「群像」8月号、古井由吉「子供の行方」

桶谷秀昭が『昭和精神史』(一九九二)だったか、その戦後編(二〇〇〇)だったかで書いていた。『きけわだつみのこえ』なんかを読むと、アメリカへの憎悪が無いことに驚く、という話である。一九四七年の出版だから当然のように思えるけれど、一九四三刊行…

奥泉光『シューマンの指』(その1)

シューマンの不思議を言うと、名曲は無い。名演奏がたくさんある。ピアノ五重奏曲のような優等生的「おクラシック」が、バリリとデムスの共演によってめでたく響くことに私は感嘆してきた。ショパンなら、曲が優等生的な場合は演奏も多くはそんなもんだ。奥…

如月の一番「文芸」冬号、大森兄弟「まことの人々」

私がもたもたしてるうちにとっくに単行本になっていた。初出で読んでおく。改稿の有無は調べてない。 男子大学生の一人称小説で、彼が付き合っている女子大生が話題の中心である。彼女は演劇をやっており、「まことの人々」という劇で「エドモン軍曹」を演じ…

二〇一〇年「すばる」十二月号、荻世いをら「筋肉のほとりで」

ひとつめ、清潔や健全を究めると邪悪や醜悪が滲み出てくる。ふたつめ、現在とは別の世界や過去にあった可能性が頭から離れない。このふたつが小説でわりと流行ってる傾向である。どちらも読める代表は『1Q84』だ。そのずっと前から村上春樹はこの主題を…

文月の一番「すばる」7月号、荻世いをら「彼女のカロート」

お墓のメンテナンスをするのが主人公の仕事だ。有名人からの依頼がある。ニュースキャスターの女性だ。と言っても、彼女はここのところ休んでいる。耳が聞こえなくなったからだ。主人公の仕事内容よりも、彼女の症状に小説の主眼がある。 彼女が有名であるの…

柄谷行人『世界史の構造』(1)「序説」

柄谷行人は交換様式として経済をとらえる。 交換様式A「互酬」は贈与と返礼による。私の思いつく例は寺子屋である。先生は読み書きそろばんの知恵を生徒に贈与する。生徒は食材や奉仕で先生に返礼する。長屋のような共同体で成立するものだ。柄谷は数世帯か…

「新潮」7月号「昭和以降に恋愛はない」大江麻衣(その2)

何度も「夜の水」を読み返した。三月六日のTwitter を見ると、高橋源一郎が「夜の水」を「ここ数年読んだ詩の中で、№1の面白さだと思う」と激賞する要点は、これが「本邦初のガールズトーク詩(?)だったかも」、「「女の子」じゃなく「女子(じょし)」が、これ…

「新潮」7月号「昭和以降に恋愛はない」大江麻衣(その1)

クイズをひとつ、「貞久秀紀と松本圭二と四元康祐と杉本真維子と斎藤恵子と小笠原鳥類と藤原安紀子と多和田葉子と岸田将幸の共通点は何か」。答えは、「中原中也賞の候補になったけど受賞できなかった」。彼らをしのいだ受賞者たちを確認すると、長谷部奈美…

高橋源一郎『「悪」と戦う』(その1)

私は萎えた頃の高橋源一郎しか知らない。本屋でぱらっと数ページめくって、それだけの作家。ところが、新刊『「悪」と戦う』はパラレルワールドだと言う。気になるテーマなので初めて読んだ。先月二三日「毎日新聞」のインタヴューには、 1981年のデビュ…

『1Q84』Book3 再考

村上春樹について書かれる批評というのはどうして「謎本」的なものが多いのだろう。この書き出しは大塚英志「村上春樹はなぜ「謎本」を誘発するのか」だ。二〇〇四年の『サブカルチャー文学論』に入っている。初出は一九九八年だ。このブログでずいぶん取り…

十年前の「文学界」2月号を読んだ

明治初期の国学系雑誌「大八州学会雑誌」というのを読んだことがある。大森貝塚の発見などによって歴史の考え方が大きく変わる時代だ。しかし、大八州学会はそんなこと認めない。ざっと要約すると、「古事記や日本書紀のありがたい書物と、土の中からいまさ…

1月号の閑話。

応援してる新人がふたり(さんにんか)、対談したりインタヴューを受けたりしている。どっちも相手がぱっとせず、さえない内容だが、最近の新人としてはこんな半分素人っぽいのがいいんだろう。簡単なメモとして記しておく。 ひとつは「すばる」一月号で藤野…

「文芸」冬号、文芸賞、大森兄弟『犬はいつも足元にいて』

文芸誌五誌どれかの新人賞を獲ったら次に芥川賞や三島賞などを狙う。この階段をなんとか上りきれる確率は三割ほどではないか。もちろんゆくゆくは読売賞や谷崎賞も獲らねばゴールではない。おもしろうてやがてかなしき新人賞、という気分になる。九〇年代の…

「ミステリーズ」33,35,36、東浩紀「押井守とループの問題」

押井守は好きだ。昨年の『スカイ・クロラ』は二度見た。DVDでも見直した。『天使のたまご』や『御先祖様万々歳』第1話2話をさしおいて、これを彼のベスト1に挙げたい。救いようの無い閉塞感の中でたんたんと結末まで進行するところが良い。 嫁が森博嗣の…

平野啓一郎『ドーン』(その1)

ニーチェ「権力の意志」には、「主観を一つだけ想定する必然性はおそらくあるまい」という一節がある。柄谷行人が「内省と遡行」の連載第一回でこれを引用したのは一九八〇年のことだ。私が読んだのはその四年後だったと思う。まだ本になる前だ。この引用に…

閑話。

いろんなブログの感想文を読んでいると、高評価の規準に「よみやすい」というのが多い。慣れ親しんだ価値観や世界観が良いんです、ということだろう。そんな、読まなくてもわかってるようなことを、わざわざ時間をかけて読書する、という彼らの感覚が私には…

ゴーストとファントム(その2、東浩紀)

機械は心を持つのか、というのはそんなに新しい問題でも難しい問題でもない。多くの知人に「機械と人間の違いは何か」と訊いたことがある。「機械には心が無い」というのが私の予想した多数意見であり、事実そうだった。「すると」と、私は用意した第二問を…

すばる5月号「文芸漫談」奥泉光いとうせいこう「後藤明生『挟み撃ち』を読む」

私にとって、後藤明生というと『挟み撃ち』(1973年)の作家であり、なんでそうかというと、蓮實重彦の熱烈な頌があるからである。1975年初出で後に『小説論=批評論』所収の「『挟み撃ち』または模倣の創意」がそれだ。一言だけ引用すると、主人公の「わた…