蓮實重彦

十年前の「群像」を読んだ。柄谷行人と村上龍の対談。

十年前の一月号には「群像」と「文学界」が柄谷行人の対談や鼎談を載せた。どちらも良い。NAM を始めた頃で、柄谷の発言は意気軒昂としている。それとはあまり関係無い部分を引用しよう。もちろん、NAM を始めたという文脈で語っていることではある。「群像…

「群像」一月号、蓮實重彦「映画時評」25

先月は帰省したついでに『ゴダール・ソシアリスム』を見に行った。どんよりと見終える。『東風』とか『中国女』のほうがまだマシだったなあ。『アワーミュージック』が最後の傑作ということにしましょう。神田の古書街にも寄った。日本近代文学が小宮山書店…

十年前の「文芸春秋」3月号を読んだ

東京大学総長蓮實重彦のインタヴューがあった。「国立大学独立行政法人化への反論」と題されている。「独立行政法人化の問題は、大学改革の論議とはまったく別に、行政改革の流れの中で突如、国立大学も行政の一環だからというくくり方でその対象に組み入れ…

エリック・ロメール『アストレとセラドン』

エリック・ロメールが亡くなった。八十九歳だった。『アストレとセラドン』(2007)をもって引退する、と本人も言っていた後だから、映画作家としては完結した人生だろう。日本で発売された彼のDVD を私はぜんぶ持っている。だから『三重スパイ』以外はほと…

古井由吉『人生の色気』

今月は新刊がたまって文芸誌を読めずにいる。古井由吉『人生の色気』が出た。この人の単行本はすべて持っている。いまさら買わずに済ませられない。全六回にわたる茶飲み話を一冊にまとめた本だった。回ごとに佐伯一麦、鵜飼哲夫、島田雅彦なんて面々が同席…

閑話。

いろんなブログの感想文を読んでいると、高評価の規準に「よみやすい」というのが多い。慣れ親しんだ価値観や世界観が良いんです、ということだろう。そんな、読まなくてもわかってるようなことを、わざわざ時間をかけて読書する、という彼らの感覚が私には…

六〇年代や七〇年代を語る三冊

初期の吉本隆明をまとめて読んだとき、もう具体的には思い出せないが、批評と批評の間で言ってることが矛盾しており、何度か戸惑った。すが秀実『吉本隆明の時代』(2008)はそれを、六〇年代の論戦を勝ち抜くための戦略的な変わり身として分析してくれた。…

すばる5月号「文芸漫談」奥泉光いとうせいこう「後藤明生『挟み撃ち』を読む」

私にとって、後藤明生というと『挟み撃ち』(1973年)の作家であり、なんでそうかというと、蓮實重彦の熱烈な頌があるからである。1975年初出で後に『小説論=批評論』所収の「『挟み撃ち』または模倣の創意」がそれだ。一言だけ引用すると、主人公の「わた…

イーストウッド『グラン・トリノ』、蓮實重彦

ある町に、ならず者の集団がいる。そして、正しく生きようとしてる家の姉弟を脅かす。ここで昔ながらのアメリカ映画なら、ヒーローの登場である。ならず者を皆殺しにして、最後に「おれはもうこの町にいられねえ」とか言って去ってゆく。では現代映画なら?…

中央公論3月号、特集「日本語は亡びるのか」

「中央公論」までが水村早苗『日本語が亡びるとき』に刺激されて「日本語は亡びるのか」という特集を組んだ。恥ずかしいことに「ユリイカ」での特集と同じタイトルである。おまけに、三人の談話を載せた顔ぶれのうち、水村と蓮實重彦は「ユリイカ」と同じで…

2月号の蓮實重彦、新潮、「随想」、ユリイカ、「時限装置と無限連鎖」

世界経済の危機である。マネーゲームが経済を狂わせてしまった、それが現代の資本主義の問題だ、とよく聞く。しかし、昔からのことではないのか。昭和初期の金解禁に乗じたドル買いはマネーゲームに思える。幕末の金貨流出もマネーゲームに思える。もちろん…