六〇年代や七〇年代を語る三冊

 初期の吉本隆明をまとめて読んだとき、もう具体的には思い出せないが、批評と批評の間で言ってることが矛盾しており、何度か戸惑った。すが秀実吉本隆明の時代』(2008)はそれを、六〇年代の論戦を勝ち抜くための戦略的な変わり身として分析してくれた。変わり身によって、たとえば、花田清輝スターリン主義者、ファシストのレッテルを貼り、彼を没落させることに成功したのである。こんなことが何度か繰り返される。『吉本隆明の時代』は、吉本を主人公に選びながら、安保闘争から学園紛争までを思想史として語り切った。不可解な左翼言語ばかりで親しみのもてぬこの時代に初めて納得がいった次第である。
 我が家では浩紀はもちろん柄谷でさえ呼び捨てだが、例外中の例外が蓮實先生と四方田先生である。四方田犬彦『歳月の鉛』は個人史として七〇年代を語ることで思想史に近いものを書きあげた。当時若手の蓮實重彦丸山圭三郎がどんな授業をしたのか、そして当時の学生たち、中沢新一島田裕巳や、ほか内ゲバや病に斃れた者たち、何より四方田本人がどう生きたかが、印象的なエピソードでつづられている。
 四方田は包み隠さずという態度で書いている。それは自分に対してのみならず、他人への遠慮が無いということだ。蓮實の授業において、蓮實の気に入るような発表をしてみせる優等生、松浦寿輝の姿など、松浦が読んだら不快だろう。しかし、これほど彼について本質的に語った文章を他に知らない。蓮實の映画観についても、彼が五〇年代のハリウッド映画を称揚するのは、若い頃に親しんだ映画だからにすぎない、と小気味良く言い切る。もちろん四方田はたんに正確なだけで、悪意も露悪趣味も無い。
 対して、いろいろ隠してるなあ、と思わせるのが、小嵐九八郎を聞き手にして六〇年代と七〇年代を検証しようというシリーズの第一冊『柄谷行人政治を語る』だった。たとえば、

 『群像』で「マルクスその可能性の中心」を連載するようになったのは、編集部の都合でたまたまそういうことになっただけなのですが、幸運でしたね。

 とあるが、もっと詳しく言えば、『群像』の編集長が更迭されて、それに抗議した文学者たちが原稿を書かなくなり、柄谷がマルクス論を書く余地が生じたのである。これは「編集部の都合」や「幸運」で済ますことのできぬ事件だったはずではないか。こんなことでさえ口を濁しているようでは、ブントに参加していた時代の真率な証言などほとんど期待できない。そもそも彼には過去を語る気があまり無い。いま考えてる話が多かったが、そこにも目新しさが無い。彼の日本語の本を私はほぼすべて読んでる。その中でも、これは退屈とまでは言わないが、最も刺激の無い本だった。