2009-03-01から1ヶ月間の記事一覧

弥生の一番、群像3月号、村田沙耶香「星が吸う水」

男性の自慰行為には動詞「抜く」が使われる。さて、女性も「抜く」ことができるだろうか。三十路を目前にした主人公鶴子は「抜ける」女性である。彼女の唯一の性感帯はクリトリスだ。ただし、小説ではすべて「突起」と書かれている。川上未映子の「先端」が…

中央公論3月号、特集「日本語は亡びるのか」

「中央公論」までが水村早苗『日本語が亡びるとき』に刺激されて「日本語は亡びるのか」という特集を組んだ。恥ずかしいことに「ユリイカ」での特集と同じタイトルである。おまけに、三人の談話を載せた顔ぶれのうち、水村と蓮實重彦は「ユリイカ」と同じで…

すばる3月号、藤野可織「いけにえ」

昔の私は評論を読むのが楽しくて文芸誌を読んでいた。たとえば、いま私の書棚に並んでいて思い出せるのだけでも、1985年から「群像」で連載された柄谷行人「探究」、同じく磯田光一「萩原朔太郎」、それから1986年の「新潮」に高橋英夫「疾走するモーツァル…

第60回読売文学賞、黒川創『かもめの日』、文学界3月号、吉村萬壱「独居45」

「わたしはかもめ」は最初の女性宇宙飛行士テレシコワの声だと思うと、はつらつとした印象をもって聞こえる。しかし、彼女は当時の国策にがんじがらめにされていただろう。いや、もともとはチェーホフ『かもめ』のニーナの声だ。清純さを失い、精神的にもど…

08年9月号からの「現代詩手帖」投稿欄

二十年ほど前までは「現代詩手帖」を買い続けていた。ただし、古本屋で七〇年代やさらに昔の号をさがす方が好きだった。対談や座談会が頼もしく、鮎川信夫、吉本隆明、谷川俊太郎、大岡信が常連だったからである。一五〇円ほどだった。 私はいま、戦後詩から…

すばる3月号、ル・クレジオ「逆説の森のなかで」、2月の村上春樹、エルサレム賞記念講演

ル・クレジオがノーベル賞をもらった。星埜守之訳「逆説の森のなかで」は昨年十二月七日の受賞記念講演である。「逆説の森」はダーゲルマンの言葉で、「飢えた人々のためにこそ書きたいと望んでいたというのに、彼の存在に気づくのは結局、充分に食べ物のあ…

文芸、春号、小池昌代「わたしたちはまだ、その場所を知らない」

作者の公式サイトには「詩に惹かれる女子中学生と女教師、同級生の男の子をめぐる小説です」とだけコメントされている。作中にも「詩」という言葉は何度も現れる。小池昌代は八〇年代に詩が終わってからの詩人である。なぜ彼女だけが詩を書けるのか、私はわ…