ナターシャ・グジー

東北の地震があってしばらくしたら、同僚がナターシャ・グジーの動画を教えてくれた。ネットで話題になっていたらしい。三年前のテレビ放送である。なのに、言葉と歌詞がいまを予言しているとしか思えない。私はもう彼女の意味づけを抜きにしてこの歌を聴く…

小谷野敦『現代文学論争』(その2)

私の記憶では、スペースシャトル・チャレンジャー号の事故は日本でも中継されていた。見ていたと思う。キャスターは久和ひとみで、これは間違いない。シャトルが分裂する間、しばらく無音の時間が流れていた。私は「これは事故なのかな」と思った。久和の何…

黒田三郎「引き裂かれたもの」(その2)

昭和二十九年五月のことである。結核患者の入退院に関する入退所基準を厳しくする、という通達が厚生省より示された。これに対する反対運動を繰り広げたのが日本患者同盟である。『日本患者同盟四〇年の軌跡』(1991)によると、五月に大阪で二〇〇名が、六…

黒田三郎「引き裂かれたもの」(その1)

少なくとも刊行一年以内の新作だけを扱うつもりで始めたブログだが、半年続けてみて、「文学の終り」についての考えが変わってきた。目前の壇ノ浦を眺めるだけでなく、月に一回くらいは古い作品を書きたくなった。まづは黒田三郎「引き裂かれたもの」なんて…

塚本邦雄(その1)、楠見朋彦『塚本邦雄の青春』

あとがきに「本書はいわゆる評伝ではない」と書いてある。そこにもちょっとひかれて楠見朋彦『塚本邦雄の青春』(2月)を読んだ。ところが、標準的な評伝であった。太平洋戦争中の昭和十八年あたりから、『水葬物語』が三十一歳の昭和二十六年に刊行され、…

第50回毎日芸術賞、吉増剛造『表紙 omote-gami』

現代詩の終りはいろんな風に実感できる。たとえば、一年ぶんの「現代詩手帖」を並べてみれば、特集される詩人はとっくに偉大か、亡くなっているかだ。正確には「現代詩史手帖」と呼ぶべきか。私だって新しい人を特集する方が面白いとは思ってない。昔の人を…

第60回読売文学賞、黒川創『かもめの日』、文学界3月号、吉村萬壱「独居45」

「わたしはかもめ」は最初の女性宇宙飛行士テレシコワの声だと思うと、はつらつとした印象をもって聞こえる。しかし、彼女は当時の国策にがんじがらめにされていただろう。いや、もともとはチェーホフ『かもめ』のニーナの声だ。清純さを失い、精神的にもど…