第50回毎日芸術賞、吉増剛造『表紙 omote-gami』

 現代詩の終りはいろんな風に実感できる。たとえば、一年ぶんの「現代詩手帖」を並べてみれば、特集される詩人はとっくに偉大か、亡くなっているかだ。正確には「現代詩史手帖」と呼ぶべきか。私だって新しい人を特集する方が面白いとは思ってない。昔の人を思い出させてくれる方がまだしも有意義である。二月号は具体詩の新国誠一だった。もっとも、彼が注目されることも現代詩の終りを実感させる。活字を並べて絵を描くような手法にアスキーアートを連想する人は多かろう。見る物であって、読む詩ではない。
 吉増剛造の詩集を私は二冊目からすべて持っているはずだ。結構な分量になる。すべて振り返るのは厄介だから適当にまとめると、わりと早い段階から彼は、詩や詩的な風物に感じ入る自分を語るようになった。通常の詩そのものを書けなくなった、と言ってよかろう。詩そのものよりも朗読で彼らしさが出たりする。安易な堕落だと思ったが、あまりに個性的な語りなので買い続けてきたのである。
  人造湖は一家をのみこんでひかっている、寒いだろうね
  紅葉(わくらば)、二、三枚
  「モシモシ……、モシモシ……」
    杜(もり)の裏庭に睡っている、村のほとけさん、木彫りのほとけさん
  どこの国の言葉、「アシュラ、アシュラ」、受話器の奥に響く声
               「シバ、椎葉」冒頭(『オシリス、石の神』一九八四年)
 写真を使うようになったのはいつごろだろう。これも言葉の詩でないもので詩集を編む行為のひとつだ。とりあえず一九八一年の『静かな場所』が手元にある。手紙のような美しい文体で、例によって神秘的な感覚がつづられており、そこに印刷の悪い白黒の写真が挿入される。撮影の素人くささが、変哲も無い情景にかえって禍々しさを発散させているのは才能だろう。
 二〇〇八年の『表紙 omote-gami』が毎日芸術賞に選ばれた。二十七年の間に写真の技術ははるかに向上し、分量が増えた。むしろ写真が主である。一方、言葉は日常雑記のような書きつけが目立つ。やはり見る物であって、読む詩ではない。

二月十八日(土曜日)加住→佃
くちおしいことに、…… きのう大切に大事に、ためつすがめつしていた、「短シャープ」がみつからず……もう、ほとんど子犬のごとし……でも、机に向って、たのし……

 主催紙の紹介では、「映像やオブジェ制作など多彩な表現に挑んできた詩人の、集大成とも言えるだろう」とある(1/20)。選考委員篠弘の評には、「詩の領域を広げようとする渇望が、ここに類例のない名詩集を胚胎させてくる」とある。「集大成」であることには同意できる。それが吉増剛造なりの「詩の領域を広げようとする渇望」から生まれたことも認める。ただそれは「名詩集の胚胎」ではなく詩の言葉の「廃頽」あるいは「名写真集の誕生」だろう。吉増の「渇望」は詩の領域を広げるというよりは、詩の言葉が消滅した跡地での招魂だったのではないか。
 これからの詩が映像やパフォーマンスなどで表現されてゆくのを嫌うつもりは無い。ただ、言葉の詩の終りの一現象を書いておきたかった。それでも、気になる言葉が無いでもない。雑談として加える。編集に携わった楠本亜紀の「うらばなし」が巻末にある。この本の「omote」には「ula」への関心も響き合っているのではないか、という指摘が面白かった。大伴家持萩原朔太郎も「ula」を使った詩人であり、吉増もそれを意識していた。ちなみに、今福竜太『群島-世界論』所収の「浦巡りの奇蹟」も、「ウラ、という神秘的な音に、このところ私の耳はとり憑かれている」と始まる。