2009-09-01から1ヶ月間の記事一覧

平野啓一郎『ドーン』(その2)

複数の自分、複数の世界、という題材は新鮮ながら、往々にしてかえって主人公の古色蒼然たる幼稚な自己肯定にいきついてしまう。自分のほかにも自分は居るけど、いまのこの自分は一人だけで、それは掛け替えの無い存在なんだ、という考えである。09/08/21 で…

平野啓一郎『ドーン』(その1)

ニーチェ「権力の意志」には、「主観を一つだけ想定する必然性はおそらくあるまい」という一節がある。柄谷行人が「内省と遡行」の連載第一回でこれを引用したのは一九八〇年のことだ。私が読んだのはその四年後だったと思う。まだ本になる前だ。この引用に…

「ヘヴン」まつり

7月12日の毎日放送「情熱大陸」で「ヘヴン」の難産ぶりが紹介されたこともあって、「群像」八月号はすぐ売り切れてしまった。新聞の時評も好意的だったようである。当然「群像」は九月号の「創作合評」でたっぷり扱い、十月号には作者のインタヴューも載っ…

長月の一番、吉浦康裕「イヴの時間」

こないだふれた村上裕一のゼロアカ最終論文が「イヴの時間」に言及しており、これは何のことだ、と思って検索したら、ネットで配信されてるアニメだった。第一話しか見られず残念だったが、このたび全六話が完結したのを機に第二話からも再配信され、ぜんぶ…

小池昌代のドローイング展

目白のポポタムという小さな店で15日から19日まで小池昌代のドローイング展をやっていた。絵の描ける人なのである。たまたま上京の用事があって最終日に寄れた。彼女の公式ページ にもアップされてる絵が、だいたいA4判ほどのを中心に30枚以上あって、五千…

古井由吉『漱石の漢詩を読む』

吉川幸次郎『漱石詩注』は岩波文庫に入っているが、二十数年前は岩波新書だった。そして品切れだった。古本屋で三千円もしたものである。なんとか安いのを見つけて買えた時はうれしかった。しかし、読んでもよくわからない。『漱石詩注注』があればなあ、と…

閑話。

いろんなブログの感想文を読んでいると、高評価の規準に「よみやすい」というのが多い。慣れ親しんだ価値観や世界観が良いんです、ということだろう。そんな、読まなくてもわかってるようなことを、わざわざ時間をかけて読書する、という彼らの感覚が私には…

群像7月号、田中慎弥「犬と鴉」

十月号が出ている世間に向けて七月号を書くのは気が引けるが、たった三〇ページ強のこの小説は、ちゃんと読むのに時間がかかったのである。読みにくいったらありゃしない。作品として主題を読むなら、つまり、なに言いたいんだよ、というレベルなら、「群像…

「新潮」8月号、青山七恵「山猫」

周囲が若い女性ばかりの職場に居たことがあって、その何年間は万巻の書も及ばぬ勉強になった。まったく学ばぬ鈍感な男性の同僚も多い。私が幸運だったのは、占いを趣味にしており、彼女らからいろんな話を聞くことができたことだ。その経験を一言でまとめる…

中原中也「サーカス」

私が最初に詩集を買ったのはたぶん高校一年の時で、新潮文庫の西脇順三郎、アポリネール(堀口大学訳)、角川文庫の中原中也だった。西脇がいちばん私の性に合っていると思うが、若気のいたりでハマったのは中也だった。おかげで今でも読むことがある。そし…