「ヘヴン」まつり

 7月12日の毎日放送情熱大陸」で「ヘヴン」の難産ぶりが紹介されたこともあって、「群像」八月号はすぐ売り切れてしまった。新聞の時評も好意的だったようである。当然「群像」は九月号の「創作合評」でたっぷり扱い、十月号には作者のインタヴューも載った。そして、「新潮」九月号の永井均「「ヘヴン」が介在することの悲しみ」が見逃せない。
 永井は作者の哲学の師だけあって、上手に読んでいる。コジマが「ヘヴン」と名付けた絵の本当の題名を、文芸誌で最初に指摘したのは彼だろう。悔しいことに私のブログよりも早い。それだけではなく、彼は『これがニーチェだ』や『ルサンチマンの哲学』の著者であり、私はニーチェをこれら彼の本によって知った気になっている。案外、川上未映子ニーチェ理解も下地は私と同じかもしれない。
 永井によれば、百瀬がニーチェ的価値観の代弁者である。『<子ども>のための哲学』の著者がそう見るのは正しい、と私も思った。「いぢめはよくない」という理屈が百瀬にはまったく通用しないあたりに感じる。反面、永井はコジマにもニーチェを見る。彼が挙げるのは『ツァラトストラ』の「救済」に出てくる、「せむしから背中のこぶをとれば、彼の精神を取り去ることになる」という一節だ。コジマは、主人公の斜視は「君のいちばん大事な部分」であると主張し、その治療に反対する。たしかに、その論理は「救済」のツァラトストラと同じだ。
 これを永井は、「コジマと百瀬の対立には、ニーチェ思想に内在するある緊張が表現されている」とまとめる。主題に深く関わるのはコジマの問題で、永井は、弱く汚い彼女に権力意志を読みとった。これは、無理やり永劫回帰を喜んで引き受けようとするニーチェに永井が読みとったものと同じ、彼のニーチェ批判の重要な部分である。そんなコジマと主人公との別れ、として永井は「ヘヴン」を読む。その哀切さを結末の「美しさ」と結びつけて彼は論じた。そこは私と違う。
 「ヘヴン」は宗教小説である、と読む「創作合評」の町田康は、永井と同じものを別の観点から述べたと言えよう。彼もコジマと百瀬の類似を指摘している。例として挙げられたのは、コジマの顔が百瀬の顔に変わる場面である。
 9月8日「読売新聞」で川上未映子は、「最後の場面は書いていて吐くほど泣きました。自分にとって掛け替えのない一瞬。それが、ヘヴン……多分、ヘヴン気分」と述べている。「群像」のインタヴューではそこをもっと詳しく語った部分があった。

 病院の場面で百瀬が「僕」に、物事は結局みんな解釈主義で決まるのだという、当然のことをわざわざいうんですね。「僕」を含めて誰だって、好むと好まざるとにかかわらず、生きている他者を認める限りは、何らかの力を行使しなければならない。
 でも、そういうものから自由になる、あらゆるパースペクティブから解放される瞬間というのが、小説だったら捏造できるかもしれないと考えたんです。生きていく中で、他者がいない状態なんてないし、現在という一瞬はすぐに過ぎ去ってしまうのにいつだって今しか存在しなくて、……まあ不思議なつくりですよね。あらゆる価値判断から一瞬だけ解き放たれて、それだけで発光するような体験はきっと認識もできないはずなんですけど、小説だったらできるだろうと思って。とにかくあのラストシーンを書きたいという気持がありましたね。

 私は09/08/31 で述べたとおり、「ヘヴン」のラストに「私的感覚へのこだわり」を見た。それを作者本人の言葉で言ったのが「あらゆるパースペクティブから解放される瞬間」だと思う。
 私は「乳と卵」にいささか不満があって、あの卵を割る場面が不要な盛り上がりに思えるのである。同じ不満を「ヘヴン」の最後の公園の場面に感じる。「小説の最後は盛り上げないといけない」という物語の定型を守る強迫観念が、あれを彼女に書かせているのではなかろうか。流れとして唐突に盛り上がるのでそう思った。ただ、「情熱大陸」での発言では、彼女の小説観は物語批判のそれである。主人公がいぢめられて胃が痛くなる、と書いたものの削除したりする。つまり、そんなありふれた物語を否定したくて小説を書いているのだ、と彼女は思い出したのである。

 基本的には、まかり通ってることを一個一個確認していきたいんですよ、常に! まかり通ってっていうことを…一個大きいのが倫理だったり道徳だったりがあって、難しいんですけどね、すごく。まかり通るにはまかり通るだけの理由があるし、言論にはやっぱり無理だけど、小説には可能性があると思ってます。

 番組の最後でも、こう語っていた。だから、いつか盛り上がりの強迫観念も乗り越えてくれるだろう。「群像」のインタヴューでは、「何十年かかけて巨大な作品を書いてみたい」、「作者として全体をコントロールしながらも、制御しきれない大きい流れを生み出せるような作品を書きたい」と述べている。スケールのでかい作家になってくれるかもしれない。