ヘヴン

「文学界」6月号「「私」の生まれる場所」千葉一幹

川上未映子『ヘヴン』論である。副題は「『ヘヴン』あるいは社会学の臨界点としての文学」だ。意図は明瞭だ。現代批評における「社会学の優位」への対抗である。この点にしぼって紹介しておく。 「『ヘヴン』はいじめを主題にした小説である」という。あたり…

「新潮」3月号、星野智幸「俺俺」最終回

文学の終りをテーマに始めたこのブログは、『1Q84』や『クォンタム・ファミリーズ』(「ファントム、クォンタム」)を話題にしてるうちに、だんだん「複数の世界」や「複数の私」も気にするようになってきた。昨年は、並行世界とか、もう一人の自分とか、そ…

「IN★POCKET」12月号「対談:永井均X川上未映子」

「『ヘヴン』をめぐる哲学対話」と題されている。今頃になって知って読んだ。『ヘヴン』の書評や対談をずいぶん読んだけど、これが一番よく議論されている。私が見つけた新聞や文芸誌の書評はすべて百瀬やコジマを中心に書かれていて、それがとても不満だっ…

永井均『道徳は復讐である』(『ルサンチマンの哲学』文庫化)その2

文庫化にあたって巻末に加えられた永井均と川上未映子の対談は、やはり面白かった。まづ、断片的な例からいくつか挙げてみよう。「ニーチェを読んで元気が出るような人間ではダメだ」なんて発言が出てくる。これが何を意味しているかは前回に書いた。また、…

書き直された『ヘヴン』(その4)

今回が最終回。いままで同様、削除された部分、追加された部分、私のコメント、である。 「情熱大陸」で紹介された改稿部分も記しておこう。6章177ページ。地獄があるとしたらここだし、天国があるとしたらそれもここだよ。ここがすべてだ。そしてそんなこ…

書き直された『ヘヴン』(その3)

最後まで終わらなかった。8章の途中まで。前回同様、削除された部分、追加された部分、私のコメント、である。ところで、川上未映子が出演してる映画「パンドラの匣」が気になるのだが、「パビリオン山椒魚」の監督の作品だと知って二の足を踏んでいる。テ…

書き直された『ヘヴン』(その2)

続きを。前回同様、削除された部分、追加された部分、私のコメント、である。 6章152ページ。死を思う主人公。 そしていまもこの瞬間に死んでいる人が確実にいるということを想像してみた。これはたとえ話や冗談や想定じゃなくて、本当のことなんだと、そう…

書き直された『ヘヴン』(その1)

今月に出た「文学界」「文芸」「すばる」「新潮」の全部に『ヘヴン』の書評が載っていた。しかし、そのどれも、作品を理解するという点では読むに値しない。ネットでもいろいろ読んだ。私が気になったのは、作者自身のブログ「川上未映子の純粋悲性批判」090…

「ヘヴン」まつり

7月12日の毎日放送「情熱大陸」で「ヘヴン」の難産ぶりが紹介されたこともあって、「群像」八月号はすぐ売り切れてしまった。新聞の時評も好意的だったようである。当然「群像」は九月号の「創作合評」でたっぷり扱い、十月号には作者のインタヴューも載っ…

葉月の一番、「群像」8月号、川上未映子「ヘヴン」

川上未映子については何度か書いた。言葉づかいは変わってるが、だいたい日常語や標準語に翻訳できる。それでも誰とも異なる理解しがたい私的感覚を持つことへのこだわりが、あの文体を書かせている。「新潮」七月号の「すばらしい骨格の持ち主は」で彼女は…