斎藤環

川上未映子対談集『六つの星星』

川上未映子初の対談集である。「ほしほし」と読むらしい。六人との対談七つが収録されている。そのうちふたつが永井均とのだ。すでに触れた、どちらも見事なものである。他の五つはやや落ちるかな。永井との対談と比べたら、どうしてもそんな評価になろう。…

東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』まつり(その1)

『クォンタム・ファミリーズ』の書評はネットや文芸誌などでいろいろ読んだ。茂木健一郎、法月倫太郎、佐々木敦、小谷野敦、宇野常寛、前田塁、阿部和重、斎藤環、平野啓一郎など。ぱっとしないのが多い。茂木健一郎を例にとろう。彼はブログで、量子力学の…

補足二冊。特に斎藤環『文脈病』(1998)

前に言及しただけで気になっていた二冊について。10/01/27の『女流文学者会・記録』は、ざっと読んだだけでたいしたことなかった。少なくとも、「特筆すべき記録本」は言いすぎ。女流作家の立場についての証言なら、たとえば、瀬戸内晴美「極楽とんぼの記」…

早稲田文学、第三号、斎藤環「コドモと文学」

ぶあついわりに中味の薄っぺらいのが「早稲田文学」である。第3号は表紙が目立つ。沈んだ目つきの中年男性が、本の多い部屋に幼女を引きこんだところだ。ひとつページをめくると、どうやら彼は幼女を公園で誘ったらしい。鋭い視線だ。さらにページをめくる…

師走の一番、金原ひとみ『憂鬱たち』

帰省中で手元に資料が無いから今月の一番は適当に。「新潮」で連載されていた「四方田犬彦の月に吠える」の最終回「アドルノ事始め」が面白かった。内容はあんま覚えてないから別のを選ぼう。金原ひとみ『憂鬱たち』を。精神科に行かねばならない女性が主人公…

永井均『道徳は復讐である』(『ルサンチマンの哲学』文庫化)その2

文庫化にあたって巻末に加えられた永井均と川上未映子の対談は、やはり面白かった。まづ、断片的な例からいくつか挙げてみよう。「ニーチェを読んで元気が出るような人間ではダメだ」なんて発言が出てくる。これが何を意味しているかは前回に書いた。また、…

文月の一番、新潮8月号、東浩紀「ファントム、クォンタム」最終回(その2)

たくさんの読み違えを重ねつつ「ファントム、クォンタム」について書いてきた私だが、連載第一回から『存在論的、郵便的』との関連を指摘できたのは数少ない正解のひとつだ。「文学界」で連載中の「なんとなく、考える」第十三回(八月号)で浩紀はこう書い…

斎藤環『関係の化学としての文学』

ラカンを読もうとして私はいつも挫折した。解説書は何冊か読めたけど、ラカンは読めなくてもいいや、と思わせた。斎藤環『生き延びるためのラカン』で初めてラカンを面白いと思えたものである。 小説を筋立てや設定、登場人物、文体で批評する例はよくあるが…