十年前の「新潮」臨時増刊と「文学界」を読んだ。

十年前は三島由紀夫が死んで三十年だった。「新潮」が臨時増刊を出した。アンケートがある。1、「三島由紀夫」が好きですか、嫌いですか。それは何故ですか。2、自決後の30年間はどういう時間だったと思いますか。3、三島作品のベストワンは。(ごく簡単…

「考える人」夏号、「村上春樹ロングインタビュー」(その1)

聞き手が良い。だから村上春樹は三日にわたってすごくたくさん語ってくれている。春樹ファン必読だ。当然ながら『1Q84』の話題が多い。あんまりたくさんなので、全体的な紹介はあきらめて、「一日目」から、断片的なことだけ書いておこう。『1Q84』…

小谷野敦『中島敦殺人事件』

何年も前に中島敦『山月記』は研究論文をいろいろ読んだ。クレス出版『中島敦『山月記』作品論集』(2001)を使った。木村一信の作品論がそれまでの研究史の成果の積み重ねの上に立つ到達点で、これを超えるものはなかなか出ないだろう、と思った。主人公李…

「新潮」2〜6月号、松浦寿輝の透谷論(その3)

『蓬莱曲』の一節「わが眼はあやしくもわが内をのみ見て外は見ず」が、森鴎外の訳した「マンフレツト一節」(バイロン)の「わがふさぎし眼はうちにむかひてあけり」と似ていることは知られている。両者を比較して、鴎外に安定感がある。それは鴎外が透谷の…

「新潮」2〜6月号、松浦寿輝の透谷論(その2)

連載第三一回は前置きのようなもので、北村透谷の名が現れるのは第三二回からである。話が面白くなるのは第三三回からだ。透谷の文体が分析される。寿輝の挙げる三点のうち二点を紹介しよう。 ひとつは、「然れども」の連鎖。透谷はこの逆接の接続詞を連発し…

「新潮」2〜6月号、松浦寿輝の透谷論(その1)

「新潮」は明治文学を論ずる大型評論をふたつ連載している。渡部直己「日本小説技術史」と松浦寿輝「明治の表象空間」である。どっちも私が文芸誌を読み始める前に始まっており、なにより力作だから文章がややこしい。ちらっと眺めるだけで敬遠している。「…

「文学界」9月号、対談みっつ。

こないだの芥川賞はいかにも磯崎憲一郎に取らせようという布陣で候補作が選ばれ、順当に磯崎「終の住処」が取った。記念対談ということで保坂和志が相手になっている。最初の話題は、朝日新聞が受賞作をどう要約したか、だ。 ともに30歳を過ぎてなりゆきで…

斎藤環『関係の化学としての文学』

ラカンを読もうとして私はいつも挫折した。解説書は何冊か読めたけど、ラカンは読めなくてもいいや、と思わせた。斎藤環『生き延びるためのラカン』で初めてラカンを面白いと思えたものである。 小説を筋立てや設定、登場人物、文体で批評する例はよくあるが…

卯月の一番、群像4月号、ジュリア・スラヴィン「歯好症」

岸本佐知子が「変愛小説集2」と題して連載している短編翻訳の第四回作品である。第二回のマーガレット・アトウッド「ケツァール」も面白かった。互いの嫌味さえすれ違っているので表面上はたんたんとした倦怠期に見える、という夫婦をあっさり書いている。 …

文学界2月号、ドナルド・キーン「日本人の戦争」

真珠湾から敗戦後までに書かれた日本人の日記を、主に小説家を中心に読み解いた四〇〇枚の長編である。この手の日記で有名な永井荷風、高見順、山田風太郎はもちろん、伊藤整や吉田健一などほかにもたくさん引用されている。新事実や新資料の発見はほとんど…