十年前の「新潮」臨時増刊と「文学界」を読んだ。

 十年前は三島由紀夫が死んで三十年だった。「新潮」が臨時増刊を出した。アンケートがある。1、「三島由紀夫」が好きですか、嫌いですか。それは何故ですか。2、自決後の30年間はどういう時間だったと思いますか。3、三島作品のベストワンは。(ごく簡単にその理由も)
 木田元の回答を抜粋しておこう。私の思うことと近い。ただ、好きな著作に私は『午後の曳航』を挙げる。1、うーん。ひどくアンビヴァレントだけど、やはり「好き」と言うべきでしょうか。2、一九七〇年と言われると、たしかにあのころの日本人にはある種の気概があったと懐かしく思い出されます。あの気概がここまで失われることを三島が予感し、憂えていたのだとすると、その予見力は見なおしたい気になります。3、『わが友ヒットラー』。
 この臨時増刊には『金閣寺』の創作ノートが収録されており、それを見たくて私は買ったのだった。それ以外はあんまり読むところが無かった。いま見返してもその印象は変わらない。古井由吉島田雅彦平野啓一郎の座談会が載っていることも忘れていた。『金閣寺』や「憂国」をめぐって、「いかにして悪は可能か」を議論している。今年は「悪」の文学が流行りだ。三島は一九五六年に『金閣寺』でとっくに「悪」を考えていた。
 没後三十年の企画としては「文学界」の方が成功している。こちらは初めて読んだ。知らなかったことがいくつもあった。まづ、石原慎太郎「天才五衰」から。

 氏が本気で参議院選挙に出馬しようとし剣道仲間のある親しい議員に相談を持ち掛けていたことを後に当の議員から聞かされて知ったが、氏が試みようとしていた同じ選挙で私が先んじて立候補し当選してしまってから私たちの間が妙に気まずいものになってしまった訳もそれでやっと知れたものだった。

 もうひとつは堂本正樹「回想・回転扉の三島由紀夫」。これは五年前に文春新書になっている。そちらは読んでいない。堂本は一九四九年の学生時代にゲイバーで三島に会い、以後弟分として深い交友を結んだ。兄弟の儀式として切腹ごっこなんかしていたらしい。

 前々から何度も稽古していたかのように、私はその紙を巻いた短刀を恭しく受け取ると、服の上着を粛々と脱ぎ、正座する。(略)兄三島由紀夫は、しゃくれた頬をひきつらせ、厳格な顔になった。長刀の鞘を払って、後ろに回る。(略)歌舞伎の忠臣蔵の「判官切腹」の真似で、神妙に勤めた。(略)そこで三島が小さく「ヤッ」と声を掛け、首筋に刀が当たる。私は前にのめって伏し、死んだ。(略)三島は上半身裸になった。まだボディビルを始めていなかった裸は痩せて貧相で、切腹には向いていなかったし、下帯もしていず、ブリーフを下げて露わにした腹は、いたずらに臍が滑稽で、これはダメだと思った。(略)しかし三島は真剣に腹をもみ、長刀を逆手にし、左腹に突き立てる。引き回す。(略)そして、ドッと私の死骸の上に倒れこんだ。

 ほか、『午後の曳航』には「カットされた結末部分」があったことなど、私は知らずにいた。一言でいえば、最後の場面の続きがそのまま書かれていた。もちろん、無い方が傑作だ。三島も最初からカットするつもりで書いたのだと思う。それだけに、そうした場面を書かずにいられないあたりが彼らしい。
 また、堂本は映画「憂国」の演出家であり、この映画についても語っている。それは他の本にもっと詳しく書いたらしい。三島も堂本も映画として納得のゆく出来栄えだったようだ。不満をとして、血の量が少なすぎたことを挙げている。三島は「血の海」を思い描いていたのに、血は床や布にしみ込んでしまったのだ。ほか、三島の揮毫した「至誠」の二字などはスタッフが争って持ち帰ってしまった、とのこと。あんなもの欲しいか?私はこの映画を見てつい、「至誠」よりも「牛乳」がいいなあ、なんて思った。