十年前の「新潮」臨時増刊と「文学界」を読んだ。

十年前は三島由紀夫が死んで三十年だった。「新潮」が臨時増刊を出した。アンケートがある。1、「三島由紀夫」が好きですか、嫌いですか。それは何故ですか。2、自決後の30年間はどういう時間だったと思いますか。3、三島作品のベストワンは。(ごく簡単…

二〇年前の「中央公論」で宮台真司を読んだ。

一九九四年の宮台真司『制服少女たちの選択』は二部に分かれている。ブルセラ論争に関するものは第一部だ。第二部は「中央公論」一九九〇年十月と十一月号の「新人類とオタクの世紀末を解く」を書き直したものである。『制服少女』の第六章が十月号で、第七…

東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』まつり(その2)

書評よりも作者本人の発言の方が参考になるケースが多かった。たとえば、twitter で三浦俊彦『多宇宙と輪廻転生』に関して、「いままでだれも指摘しませんでしたが、これは元ネタのひとつです」(09/12/25)なんて言ってる。昨年四月に書いたように、初出の…

大江健三郎『水死』読了

「死んだ犬」を投げつける演劇の上演をめぐって対立する賛成派と反対派を見ている作家の小説、ということだろうか。その場合、作家と息子との不和がどう関わるのかよくわからない。大江健三郎個人の事情なんだろう。「読売新聞」の時評(一二月二九日)の「…

吉田健一『詩と近代』(1975)冒頭

まづ近代の特徴から入る。めんどくさいから、彼の旧字旧仮名は踏襲しない。「その性格はある集団が文明に達したことがさらに精神を刺激してその一層の働きを促した結果がその働きという形で認められるにいたり、それがどういう形のものでも受け入れられなが…

十年前の「群像」1月号を読んだ。

李恢成「地上生活者」の連載第一回が載っていた。三浦雅士「青春の終焉」も連載第一回だ。さて、十年後の「群像」一月号と比べよう。「地上生活者」はまだ連載中である。書き続けた人よりも、読み続けた人を誉めたたえたい。いればの話だが。そして、三浦は…

新訳新釈ドストエフスキー『罪と罰』亀山郁夫、三田誠広

亀山郁夫による新訳が出たので『罪と罰』を二十数年ぶりに読み返した。昔の読書をほとんど覚えていない。若い私はマルメラードフの露悪的な端迷惑に嫌悪感をつのらせるばかりで、飛ばし読みだったのである。ところが、いまや五〇歳に近い私はマルメラードフ…

現代訳ウェーバー『職業としての学問』(三浦展訳)

1917年のドイツの講演である。大学教員のあるべき姿が説かれている。ただ、そう読んでしまうと、われわれの実感には合わない面ばかり目立つ。しかし、訳者はこれを現在の日本社会全体の文脈に置いても読めるものとして提示した。「現代訳」と銘打ってるのは…

現代詩手帖4月号、座談会「突破口はどこにあるか」

かつての「ユリイカ」も1969年になると六〇年代詩人の特集を組んだ。「現代詩手帖」も同じだ。四月号の特集は「ゼロ年代詩のゆくえ」である。水無田気流、中尾太一、蜂飼耳、岸田将幸、佐藤雄一の座談会を読んだ。本題の「突破口はどこにあるか」よりも「ゼ…

新潮昨年5月号、東浩紀「ファントム、クォンタム」、連載第一回

昨年の「新潮」五月号から東浩紀は小説「ファントム、クォンタム」の連載をほぼ隔月で続けて、いま六回まで発表している。題名を訳せば、「亡霊、量子」か。作者のブログでは「あと連載2回で終わり」(09/02/27)とのこと。いまから読み始めて最終回までに…

群像1月号、松浦寿輝「川」

1993年の第四詩集『鳥の計画』の後書で、松浦寿輝は『吃水都市』ほかの詩集が「数年のうちに刊行されるだろう」と述べている。実際は昨年の暮にやっと『吃水都市』が出た次第である。何年も第五詩集を私は待ち、ある日、松浦が小説家に転向したのを知った。…