岸田将幸

岸田将幸『』(その2)

瀬尾育夫が「現代詩手帖」四月号で岸田将幸と対談している。話題は時事や鮎川信夫や曽祖母など、いろいろである。瀬尾は『』の読後感を語った。かつて岸田の詩に私が感じたのと同じことを、好意的にとらえている。 詩的な逃げというか、イメージや詩的な修辞…

岸田将幸『』(その1)

これまで岸田将幸の居る座談会についてふたつ書いた。そのどっちでも彼が苛立ってトゲトゲしいのが印象に残った。認める詩のストライクゾーンが狭いのかな、なんて思った。いや、狭い、より、無い、に近いのかもしれない。「現代詩手帖」での佐々木敦の連載…

閑話(その1、逆説の消失)

二十数年ぶりに江藤淳『成熟と喪失』(一九七八)を読んだ。最初の方、安岡章太郎『海辺の光景』を論じたあたりである。いつまでも子離れできない母親が子を成熟させない、それが日本的な母子関係であると江藤は考えた。『海辺の光景』は格好の素材だ。ただ…

現代詩手帖4月号、座談会「突破口はどこにあるか」

かつての「ユリイカ」も1969年になると六〇年代詩人の特集を組んだ。「現代詩手帖」も同じだ。四月号の特集は「ゼロ年代詩のゆくえ」である。水無田気流、中尾太一、蜂飼耳、岸田将幸、佐藤雄一の座談会を読んだ。本題の「突破口はどこにあるか」よりも「ゼ…