岸田将幸『』(その2)

 瀬尾育夫が「現代詩手帖」四月号で岸田将幸と対談している。話題は時事や鮎川信夫曽祖母など、いろいろである。瀬尾は『<孤絶−角>』の読後感を語った。かつて岸田の詩に私が感じたのと同じことを、好意的にとらえている。

 詩的な逃げというか、イメージや詩的な修辞の見事さによって決着させる身振りがないということに驚いた。(略)ひとつのページ、あるいは数ページを、最後まで−論理的というのではなく−「思考的」に書き切っている。

 具体的には詩集の二〇頁から二三頁を挙げている。これから岸田の詩を論じるときに、瀬尾のこの指摘は何度も参照されるべきだろう。瀬尾は岸田の方法について、「詩というジャンルはそもそもこういうふうには書かれてこなかったと思うんですよ」とも述べている。でも、吉本隆明の系譜に連なる、とも言えそうな気もするが。

新たな数式を生まねばならない。きっとそれは次の人がぎりぎり踏み外すことのない足場となるはずだ。その数式は彼を沈黙させ、彼はしばらく別のところでうなだれて生きて行かなくてはならなかったかもしれない。しかしだ、その別の場所を育んだのはある死者の息づかいの跡であったかもしれない。そうして彼はある死者の跡を引き受けつつ、また別の人を生かしめるために別の場所に立ったのかもしれない。

 詩集冒頭部の一節である。添田馨はさらに長く引用して、「作品構成のうえで「死者」をこれほどまで見事に方法化した前例を私は知らない」と述べた。「これらの語脈をつなぎとめているものは形式的な論理だろうか、あるいは機械的な文法だろうか。無論そのどちらでもありながら、また、そのどちらでもないように私には映る」。さらに、中尾太一の「絶対叙情主体」との共通点を、ヤコブソンを呼び出しながら論じてゆく。
 こう紹介すると理論的な論述のようだが実際は感覚的で、「詩文を構成する連辞(サンタグム)の結合関係そのものの内に、有機的な生体感覚といってもよいしなやかさが常に担保されて、作品中くり返しそれが自己生成されてくる」と言われても、具体的にどの詩行がどうなのかぜんぜんわからない。紙幅が足りなかったか。むしろ、「肩甲骨に大腿骨が接続されてあるような、あるいは鎖骨に頸骨が接続されてあるような、ちょっと異様としか言いようがない記述の風景なのだ」と比喩的に言ってくれてる部分の方が通じる気がする。
 阿部嘉昭は岸田の詩法に批判的だ。『<孤絶−角>』が好評であることを「ポピュリズムかと危惧する」とも述べている。その例として添田の論を挙げ、「本気だろうか」「褒めるためにする評論」と斬って捨てた。さきに引用した詩集冒頭部の一節についてはこうだ。

 「ある」や「かもしれない」といった留保性・間接性の修辞を同型反復で用いつつ、殺伐さによって隣接する用語範囲を、やがて「数式」から「死者」「生かしめる」へ移行させる。中尾太一の語彙から稲川方人の語彙への移行。ところが詩脈の親和なしに同語が反復することから、鍵語はすべて覆面をしいられ過激に語から開示性が奪われてゆく。これが硬直した秘教性の確保でないならば、散文性の導入により詩文の不穏な脱色を目したということだ。「しなやかさ」など岸田の眼中にまったくないようにおもえる。(略)筆者などは生成される詩脈に責任が生じていないと感じるので、「付き合えないな」という正直な感慨が反射的に出てきてしまう。

 「中尾太一の語彙から稲川方人の語彙への移行」というのはなるほどだ。「詩文の不穏な脱色」は瀬尾や私の感じたことを阿部の言葉で述べたと言えよう。批判はさらに中尾太一にまで及んでゆく論である。概して私は添田よりは阿部に乗りたい。けれど、岸田や中尾の比較対象として、阿部は支倉隆子や倉田比羽子や近藤弘文を挙げ、それらを「極上の七〇年代詩」「弱さを湛え縹渺とまでした理想的改行詩篇」と呼ぶ。私は陰鬱としてくる。それにうんざりして長らく詩を読まなくなったものだから。中尾や岸田の詩は新しい事態を招来したと思う。そこをよく読み解いてくれる人にまだ出会っていない。中尾と岸田がワンセットで扱われる意味もまだ私は理解できずにいる。