皐月の一番「すばる」4月号、鹿島田真希「その暁のぬるさ」

 五月号の文芸誌はあんまりぴんとこなかった。古井由吉の連載が始まったとか町田康の朗読CDとか大杉栄が現代に現れるとか喜多ふありが書いてるとか川上未映子アラーキーと対談してるとか、話題はいろいろあるんだけど、中身が物足りなかった。そこで、今月も四月号から選ぼう。「すばる」の鹿島田真希「その暁のぬるさ」を。
 主人公は、いろいろ考えてしまうタイプの女性で、そのうねうねとした思考が、本人の意志の及ばぬ方まで伸びてゆくさまが、文学的で快感だった。たとえば、恋人と公園にいるうちに、主人公は考えすぎて顔が蒼ざめてしまい、それを濡らした布で鎮めようと恋人が水道に走る、すると、また思考が織りなされる。

 わたしは、あの人を見て、なんて誠実な人だろう、こんなにわたしを気遣ってくれる男性はもう現れないに違いない、と思っていたが、それは現実になってしまい、あの人のような男性はもう二度と現れない。とにかく、わたしはどういうわけか、あの人が水道へ走っていき、わたしから離れたことにひどく安心して、あの人が水道に近づけば近づくほど、ますます水道が離れていき、あの人が永遠に水道を追い続けてくれればよいと思ったものだ。わたしはあの人を慕えば慕うほど、自分自身というものを好きになることができずに、卑屈になり、自分を憎んで、どういうことをしたら、あの人に嫌われるのだろう、できることならそれを試してみたいと思ってしまったりするのだった。

 あまりに強烈な妄想度なので、この恋人は実在するのだろうか、これも主人公の勝手な思いこみなのではなかろうか、なんて余計な疑惑が湧いた。その疑惑どおりだったら、ありがちなオチだ。そんな不安が最後まで頭を離れなかったので、小説の世界に入りきれない読書になってしまったのは私の不徳のいたすところである。最後のひと段落は素晴らしい締めくくりだった。
追記。書痴日記には、「昔はもっと芯熱のある作品を書いていた印象がある。「別れた男を忘れられない保育士が、再び今を生きようと決意するまでの話」。あの鹿島田真希の小説が、このレベルの要約で終わってしまうなんて、ちょっと信じられない」とあった。