「群像」六月号、川上弘美「神様2011」

川上弘美のデビュー作は、「くまにさそわれて散歩に出る」という彼女らしい奇妙な書き出しの「神様」で一九九三年の発表である。人語をあやつる熊で、しかもジェントルだ。のんびりと散歩がこなされ、目的地の川原に到着する。そのとたん、熊に野性がよみが…

師走の一番、庚寅の一番。

先月は仕事で忙しく、年末から正月は帰省で忙しかった。本はあんまり読んでない。何度挑戦しても挫折するドゥルーズ、ガタリ『アンチ・オイディプス』を一〇〇頁ほどでまた挫折した程度だ。「器官なき身体」って、なんなんだ。今回の印象だと、エヴァンゲリ…

詩、まとめて。

「現代詩手帖」7月号が文月悠光(ふづきゆみ)の特集だった。私はこの人の良さがあまりわからない。特集記事を読めば納得がいくかな、と期待したのである。結果、やっぱわからん。もちろん悪くはない詩人だ。「うしなったつま先」の冒頭二行「靴がない!/…

尾野真千子、リー・ピンビンの『トロッコ』

芥川龍之介『トロッコ』が映画化された。『殯の森』の女優と『花様年華』『夏至』の撮影監督の映画なのだ。我が家はまだ三か月の子育ての最中ながら、嫁が「行ってきたら」と言ってくれた。よし、土曜に早起きして梅田ガーデンシネマに出かけた。館内はがら…

皐月の一番「すばる」4月号、鹿島田真希「その暁のぬるさ」

五月号の文芸誌はあんまりぴんとこなかった。古井由吉の連載が始まったとか町田康の朗読CDとか大杉栄が現代に現れるとか喜多ふありが書いてるとか川上未映子がアラーキーと対談してるとか、話題はいろいろあるんだけど、中身が物足りなかった。そこで、今…

閑話、梨々のその後を

俳句は素人と専門家の区別がつかないことがあって、第二芸術論でも論点のひとつになっていた。桑原武夫はこれで俳句を批判したのだけれど、素人が傑作を作れる、と考えるだけなら罪は無かろう。たとえば、もう三十年近くも昔のことだと思う、新聞の俳句投稿…

「小説トリッパー」春号、「群像」4月号の朝吹真理子

旧朝吹山荘を昨年見学した。ヴォーリズ設計の美しい別荘だ。朝吹亮二は朝吹登水子の甥で、朝吹真理子は朝吹亮二の娘なんだそうだ。昨年十月号「新潮」の「流跡」のようないかにも育ちの良いデヴュー作の作者がこんな人だと聞いて、それだけで真理子のすべて…

早稲田文学、第三号、中沢忠之「メタフィクション批判宣言」

鹿島田真希『ゼロの王国』の書評や紹介をネットでいくつか見た。「産経ニュース」(六月二一日)を例にとろう。 榎本正樹が書いた。「鹿島田はデビュー以来一貫して「聖なる愚者」を重要な人物モデルとして描き続けてきた」「吉田青年の回心のプロセスを通し…

小谷野敦『中島敦殺人事件』

何年も前に中島敦『山月記』は研究論文をいろいろ読んだ。クレス出版『中島敦『山月記』作品論集』(2001)を使った。木村一信の作品論がそれまでの研究史の成果の積み重ねの上に立つ到達点で、これを超えるものはなかなか出ないだろう、と思った。主人公李…

国立国際美術館「絵画の庭−ゼロ年代日本の地平から」展

通勤中にポスターを見かけて興味を持った。毎日新聞で高階秀爾が好意的な評を書いている(2月18日)。これが決め手で見に行った。若手を中心に二十八人の作品が二百点ほど。全体としては大学美術部の合同展のようだった。素人くさい。小説も美術も似たよう…

師走の一番、金原ひとみ『憂鬱たち』

帰省中で手元に資料が無いから今月の一番は適当に。「新潮」で連載されていた「四方田犬彦の月に吠える」の最終回「アドルノ事始め」が面白かった。内容はあんま覚えてないから別のを選ぼう。金原ひとみ『憂鬱たち』を。精神科に行かねばならない女性が主人公…

新訳新釈ドストエフスキー『罪と罰』亀山郁夫、三田誠広

亀山郁夫による新訳が出たので『罪と罰』を二十数年ぶりに読み返した。昔の読書をほとんど覚えていない。若い私はマルメラードフの露悪的な端迷惑に嫌悪感をつのらせるばかりで、飛ばし読みだったのである。ところが、いまや五〇歳に近い私はマルメラードフ…

平野啓一郎『ドーン』(その2)

複数の自分、複数の世界、という題材は新鮮ながら、往々にしてかえって主人公の古色蒼然たる幼稚な自己肯定にいきついてしまう。自分のほかにも自分は居るけど、いまのこの自分は一人だけで、それは掛け替えの無い存在なんだ、という考えである。09/08/21 で…

『1Q84』まつり「群像」「文学界」8月号

八月号は「群像」と「文学界」が『1Q84』の特集を組んでいる。前者は安藤礼二、苅部直、諏訪哲史、松永美穂の座談会と小山鉄郎の小論。後者は加藤典洋、清水良典、沼野充義、藤井省三の小論である。ほかにも、河出書房が斎藤環や四方田犬彦など三十六人の発…

弥生の一番、群像3月号、村田沙耶香「星が吸う水」

男性の自慰行為には動詞「抜く」が使われる。さて、女性も「抜く」ことができるだろうか。三十路を目前にした主人公鶴子は「抜ける」女性である。彼女の唯一の性感帯はクリトリスだ。ただし、小説ではすべて「突起」と書かれている。川上未映子の「先端」が…

文学界2月号、鹿島田真希「パーティーでシシカバブ」

柄谷行人が、「最近の若手批評家」の傾向として、「他人がどう思うかということしか考えていないにもかかわらず、他人のことをすこしも考えたことがない、強い自意識があるのに、まるで内面性がない」と述べている(『近代文学の終り』2005)。東浩紀などが…

文学界2月号、ドナルド・キーン「日本人の戦争」

真珠湾から敗戦後までに書かれた日本人の日記を、主に小説家を中心に読み解いた四〇〇枚の長編である。この手の日記で有名な永井荷風、高見順、山田風太郎はもちろん、伊藤整や吉田健一などほかにもたくさん引用されている。新事実や新資料の発見はほとんど…