平野啓一郎

十年前の「群像」を読んだ。柄谷行人と村上龍の対談。

十年前の一月号には「群像」と「文学界」が柄谷行人の対談や鼎談を載せた。どちらも良い。NAM を始めた頃で、柄谷の発言は意気軒昂としている。それとはあまり関係無い部分を引用しよう。もちろん、NAM を始めたという文脈で語っていることではある。「群像…

十年前の「新潮」を読んだ。平野啓一郎「葬送」第一部、よりもCD。

五五〇枚を一挙掲載である。あんまりたくさんなので、単行本との違いを比較する気になれなかった。当時の新聞時評を確認すると、川村湊も菅野昭正も、第二部もふくめ「葬送」に言及していない。平野啓一郎のブログには、「ピアニストの方と会うと、『葬送』…

十年前の「文学界」2月号を読んだ

明治初期の国学系雑誌「大八州学会雑誌」というのを読んだことがある。大森貝塚の発見などによって歴史の考え方が大きく変わる時代だ。しかし、大八州学会はそんなこと認めない。ざっと要約すると、「古事記や日本書紀のありがたい書物と、土の中からいまさ…

「新潮」1月号の対談ふたつ

いろんな二月号がぱっとしないので、積んだままの一月号をゆっくり読める。話題になった「新潮」の対談二つを。ひとつは大江健三郎と古井由吉。反戦反核の作家と内向の世代が語り合う、というのは私には違和感があったけど、古井の対談集を探したら前にもあ…

古井由吉『人生の色気』

今月は新刊がたまって文芸誌を読めずにいる。古井由吉『人生の色気』が出た。この人の単行本はすべて持っている。いまさら買わずに済ませられない。全六回にわたる茶飲み話を一冊にまとめた本だった。回ごとに佐伯一麦、鵜飼哲夫、島田雅彦なんて面々が同席…

平野啓一郎『ドーン』(その2)

複数の自分、複数の世界、という題材は新鮮ながら、往々にしてかえって主人公の古色蒼然たる幼稚な自己肯定にいきついてしまう。自分のほかにも自分は居るけど、いまのこの自分は一人だけで、それは掛け替えの無い存在なんだ、という考えである。09/08/21 で…

平野啓一郎『ドーン』(その1)

ニーチェ「権力の意志」には、「主観を一つだけ想定する必然性はおそらくあるまい」という一節がある。柄谷行人が「内省と遡行」の連載第一回でこれを引用したのは一九八〇年のことだ。私が読んだのはその四年後だったと思う。まだ本になる前だ。この引用に…