十年前の「文学界」2月号を読んだ

 明治初期の国学系雑誌「大八州学会雑誌」というのを読んだことがある。大森貝塚の発見などによって歴史の考え方が大きく変わる時代だ。しかし、大八州学会はそんなこと認めない。ざっと要約すると、「古事記日本書紀のありがたい書物と、土の中からいまさら出てきたガラクタと、どっちを信用するのか」、そんな論文があった。私は感心してしまった。反論できない気がした。パラダイムの違いというのはそういうものだ。なにより堂々たる論陣ではないか。ニュートンも述べているように、蛮勇には人を惹きつける引力がある。
 十年前の文芸時評をいくつか見ると、「文学界」二月号の石川九楊「文学は書字の運動である」が話題になっていた。文章作成機(ワープロ)は、日本語を書くことで働く人間本来の思考を破壊する、という趣旨だ。大八州学会のにおいがした。

 文章作成機(ワープロ)においては、手は、文字盤の上を、右へ左へ、上へ、下へ、斜めへと右往左往する。身体は、かつてのタイピストのように右往左往の思考に馴染んでいく。身体は錯乱の運動と親和性をもち、文字盤上を駆けめぐる錯乱の運動を、詩や小説は孕むことにならざるを得ない。

 錯乱運動の代表として平野啓一郎日蝕』が槍玉に挙がっていた。「文学界」は四月号で石川論文の感想を問う大アンケートを敢行し、一四〇人の回答を掲載した。ざっと読むと、啓一郎は怒っている。蓮實重彦は、「読んでいませんし(略)さしたる興味もわきません」。まあそうだろう、と思うことなかれ、石川説はけっこう支持を集めたのだ。

 今や自分自身が電子機器で作文するようになってしまったていたらくは、まことにもって恥ずかしいかぎりです。(略)わたしは基本的には石川氏の日本語観に同感しています。生活の逼迫に負けてワープロを導入した時点から自分の書き言葉の頽廃が始まったと感じており、何とか精神を真っ直ぐに保つことでそれに歯止めをかけたいと願っているわけです。

 松浦寿輝である。ワープロが文学を変える、という意見を私は否定しないが、しかし、その種の変化は柄谷行人にならって、九楊や寿輝などの思いもよらぬ外部から届くはずだと思う。この点に最も敏感だった例として、「Voice」四月号の大塚英志「編集者の仕事」がある。今は『戦後民主主義リハビリテーション』で読める(「編集者である、ということ」)。
 大アンケートにふれて彼が思ったのは、次のようなことである、「大手出版社の社員である文芸誌の編集者が考えなくてはいけないのは、電子メディアによる環境の変化と文学との関連ではなく、「編集者」とはいかなる存在なのか、という問題ではないのか」。簡単に言えば、ワープロで書いた原稿を電子メールで送信し、それをデザイナーがコンピュータ上でレイアウトして誌面を作る、すると、編集者の仕事は消滅したように思える、ということだ。こんなことの方が文学を変えた、という面は無いだろうか。現場に居ない私には見当もつかないけれど。
 なお、九楊は二匹目のどじょうとも言うべき「グーテンベルクvs.王義之」を翌年の「文学界」八月号にも出した。さすがに黙殺されたようである。