2010-11-01から1ヶ月間の記事一覧

霜月の一番、佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』第三夜以降

読むことをめぐる佐々木中の第三夜は、イスラム教の教祖ムハンマドについて語る。ムハンマドの最初に受けた啓示とは「読め」だった。そして、佐々木が強調するのはムハンマドの特殊性である。法の起源に関するフロイトの説明と対比させて言う、ムハンマドは…

閑話(クォンタム・ファミリーズ)。

東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』とその初出形「ファントム・クォンタム」について、私は三〇回くらいの記事を書いてるのではないか。いくら書いてもわからんところが残る。優秀な読者ではないのだろう。そんなことをひとつだけ付け足しておく。 主人公の…

十年前の「新潮」臨時増刊と「文学界」を読んだ。

十年前は三島由紀夫が死んで三十年だった。「新潮」が臨時増刊を出した。アンケートがある。1、「三島由紀夫」が好きですか、嫌いですか。それは何故ですか。2、自決後の30年間はどういう時間だったと思いますか。3、三島作品のベストワンは。(ごく簡単…

島田雅彦『悪貨』

島田雅彦について、「一作でもいいから、その才能・資質にみあう形で小説を完成してもらいたいものである」と、福田和也は『作家の値うち』に書いた。それから十年たった。相変わらず島田は大家っぽい未完の大器だ。傑作を書かないのは彼の作風なんだと、も…

佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』第二夜(その2)

ルターが『聖書』を「読んだ」というのは有名な話だ。私が初めて意識するようになったのは柄谷行人「テクストとしての聖書」(一九九一)だった。いまは『ヒューモアとしての唯物論』で読める。ややこしいことを言っている。 ひとびとが聖書を読みはじめたの…

佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』第二夜(その1)

武田泰淳『司馬遷』(一九四三年)の「自序」の冒頭は、「私達は学生時代から、漢学と言ふものには、反感を持つてゐた」である。「要するに、私達の求めてゐたのは「文学」そのもの、「哲学」そのものであり、支那文学、支那哲学ではなかつたのかも知れぬ」…

朝吹真理子『流跡』

私の言及した作品が後に何かの賞を獲ることが多い。純文学を扱う他の同様のブログと比べて多いんぢゃなかろうか。話題作の受賞は当然として、高樹のぶ子「トモスイ」(川端康成賞)とか、楠見朋彦『塚本邦雄の青春』(前川佐美雄賞)とか、「パンドラの匣」…

十年前の「ユリイカ」4月号を見つけた

昨年から文芸誌を読み始めて気がついたのは、私の複数性と世界の複数性を扱った作品が多いことだった。もちろんこれは文学史上初という事態ではない。十年前の「ユリイカ」四月号が「多重人格と文学」という特集を組んでいるのを見つけた。大塚英志と香山リ…

佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』第一夜

あまりに分厚くて佐々木中の『夜戦と永遠』も小熊英二のいろいろも読めずに積んだままでいる。あーあ、と思っているところに佐々木は『切りとれ、あの祈る手を』を出してくれた。普通の厚さだ。五夜にわたるインタヴューである。題名はツェラン『光輝強迫』…

第62回正倉院展

最初に正倉院展を観たのはいつだろう。「鳥毛立女屏風」が目当てだったから一九九九年(第五一回)か。それから四回くらい行ったのかな。ベストは二〇〇五年(第五七回)である。「平螺鈿背八角鏡」が印象に強い。平日に行くようにしており、混んでるという…

二〇年前の「中央公論」で宮台真司を読んだ。

一九九四年の宮台真司『制服少女たちの選択』は二部に分かれている。ブルセラ論争に関するものは第一部だ。第二部は「中央公論」一九九〇年十月と十一月号の「新人類とオタクの世紀末を解く」を書き直したものである。『制服少女』の第六章が十月号で、第七…