佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』第二夜(その1)

 武田泰淳司馬遷』(一九四三年)の「自序」の冒頭は、「私達は学生時代から、漢学と言ふものには、反感を持つてゐた」である。「要するに、私達の求めてゐたのは「文学」そのもの、「哲学」そのものであり、支那文学、支那哲学ではなかつたのかも知れぬ」。似た不満を私は三〇年ほど前の大学の授業で味わった。「文学そのもの」を学ぶつもりで入学したのに、教室で説明されるのは「国文学研究」だった。みんなと同じ方法で、同じ問題を共有するのである。それでいて国文学者は全員が自分を「文学」者だと自負していた。大学の日本文学って今もこうなんだろうか。きっとそうだ。
 佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』第一夜の最後の方で文学が話題になる。「われわれが文学と呼ぶもの」が「いかに狭隘なものか」と言う。大学の日本文学はそれをさらに窮屈にしたものだろう。対して佐々木は言う、「われわれが文学と呼ぶもの」は「実際にはいかに宏大な領野を占めるものか」。文学とは「読みかつ書く技法一般のこと」なのだ。「読む」とは何かについては佐々木の意見をすでに紹介したとおりだ。第二夜ではルターが語られる。ルターこそ文学者の見本なのだ。
 テクストを読むとは、私が学生時代に国文学者から学んだことによれば、「作家と切り離して読む」ことだった。くだらない。そんなある日、私はふと『新約聖書』を「ちゃんと読んでみよう」と思った。今にして思えば、こっちの方が「テクストを読む」ということに近かった。『新約聖書』にはたとえば、「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」と書いてあった。「ちゃんと読む」とこれは謎だ。普通の平手打ちなら、まづ左の頬を打たれるものではないか。こうもある、「あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい」。これも謎だ。普通はまづ高価な上着を取ろうとするのではないか。こんな風に読むと、みんなと違う問題に入り込んでゆく。その詳しい話は今は措く。とにかく私はこんな読書が文学だと確信している。
 佐々木の語るルターに激しく共感してしまった。ルターの宗教革命は『聖書』を「ちゃんと読む」ことから始まった。「ちゃんと読んだ」ルターは、『聖書』にみんなが問題にしていたことがまったく書かれていないことに気づいた。そして、私と大きく違って、ルターの読書は徹底的に深かった。そこに佐々木の第二夜の主張がある。ルターは徹底的に読んだ自分の読みに従うしかなかった。「何度読んでもそう書いてある。そして他にどうしようもない。ならそれをするしかない」。かくて革命がもたらされた。

 革命は「文学的」なのではありません。違う。断じて違う。文学こそが革命の本体なのです。革命は文学からしか起こらないし、文学を失った瞬間革命は死にます。何故われわれはこのように文学を貶め、文学部を大学から追放しようとしているのか。何故文学者みずからが文学をこれほどまでに蔑んでいるのか。それは、まさに文学が革命の潜勢力を未だ持ち続けているからです。だからこそ、彼らはそれに怯えているのです。

 引用の後半部は佐々木が間違ってるだろう。本居宣長が『古事記』を「ちゃんと読んだ」おかげで、明治維新の革命が起きた。それは文学だった。しかし、国文学研究は文学を失ったのである。それで文学部は衰退しているのだ。