朝吹真理子『流跡』

 私の言及した作品が後に何かの賞を獲ることが多い。純文学を扱う他の同様のブログと比べて多いんぢゃなかろうか。話題作の受賞は当然として、高樹のぶ子「トモスイ」(川端康成賞)とか、楠見朋彦『塚本邦雄の青春』(前川佐美雄賞)とか、「パンドラの匣」の川上未映子キネマ旬報新人女優賞)とか、ちょっと意外なのが少なくない。絶賛したわけでもない、小池昌代コルカタ』(萩原朔太郎賞)とか、柴崎友香寝ても覚めても」(野間文芸新人賞)とかまで勝手に受賞する反面、心から応援してる作品はわりと落ちるので、私の趣味が賞に向いてるわけではない。たぶん私の貧しさのようなものだ。それが賞と通底してる気がする。
 朝吹真理子「流跡」もBunkamura ドゥマゴ賞を獲った。そのためかこないだ単行本化された。ざっと初出と比べてみた。ほぼ異同は無かった。難しい漢字の振り仮名を増やした程度である。読後感も初出時とさほど変わらない。
 付け加えることとして、「書かれたものは書かれなかったものの影でしかなく、いつまでも書き尽くすことはできない」は、デリダのたとえば、「一つの物語を語るとき、可能な、でも語られない多数の物語がある」(「視線の権利」)を思い出させた。また、主人公がくるくる変身するところは、こないだ観た最近の束芋と共通する感覚がある。相違は、作者、語り手、登場人物の階層を揺らす手法を朝吹が盛り込むことだろう。文体の印象については、初出時に述べた古井由吉松浦寿輝だけでなく、蓮實重彦「オペラ・オペラシオネル」も連想させた。断言を避け、文末を先延ばしにしつつ、話をあいまいにしてゆく書きぶりである。