武田泰淳

佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』第二夜(その1)

武田泰淳『司馬遷』(一九四三年)の「自序」の冒頭は、「私達は学生時代から、漢学と言ふものには、反感を持つてゐた」である。「要するに、私達の求めてゐたのは「文学」そのもの、「哲学」そのものであり、支那文学、支那哲学ではなかつたのかも知れぬ」…

「群像」9月号、佐藤友哉「ハサミムシのすえ」(3)

最後に繰り返せば、文学の終りを口にする割りには終りのイメージが貧しい。終りをもたらす「敵」の佐藤友哉のイメージはこうだ。 「蝮のすえ」には、童貞臭がしないのです。(略)登場人物の年齢や関係、活動理由などは明らかに「大人」のそれで、青春汁の薄…

「群像」1月号「戦後文学を読む」第二回、武田泰淳

偶然で、年末から武田泰淳に関するものを読む機会が重なっている。すでに二回書いたとおりだ。ほか、古本屋で見つけた『近代文学の軌跡』(1968)がある。現代文学者に関する「近代文学」の座談会を集めた二巻本だ。その第六回が武田泰淳である。本多秋五や…

十年前の「群像」1月号を読んだ。

李恢成「地上生活者」の連載第一回が載っていた。三浦雅士「青春の終焉」も連載第一回だ。さて、十年後の「群像」一月号と比べよう。「地上生活者」はまだ連載中である。書き続けた人よりも、読み続けた人を誉めたたえたい。いればの話だが。そして、三浦は…

師走の一番、金原ひとみ『憂鬱たち』

帰省中で手元に資料が無いから今月の一番は適当に。「新潮」で連載されていた「四方田犬彦の月に吠える」の最終回「アドルノ事始め」が面白かった。内容はあんま覚えてないから別のを選ぼう。金原ひとみ『憂鬱たち』を。精神科に行かねばならない女性が主人公…