「群像」1月号「戦後文学を読む」第二回、武田泰淳

 偶然で、年末から武田泰淳に関するものを読む機会が重なっている。すでに二回書いたとおりだ。ほか、古本屋で見つけた『近代文学の軌跡』(1968)がある。現代文学者に関する「近代文学」の座談会を集めた二巻本だ。その第六回が武田泰淳である。本多秋五埴谷雄高たちだけでなく、昔っから知り合いの竹内好堀田善衛など、それに江藤淳まで加えた十人が集まって、人と文学を語りつくす。竹内発言から、「うちにしょっちゅうくる。なんかしゃべっていて、ふっと、さようならと言って帰るわけだ。いっしょに歩いていても、途中でさようならとも言わないでいっちゃう。なにか気を悪くしたかと思って、こっちは心配で気が気でないから、次にあったときに聞くとぜんぜんそういう自覚はないのだ」。
 これと較べるのは可哀想だとわかっているものの、「群像」1月号の泰淳特集の合評は物足りなかった、と言いたい。この特集では、山城むつみ「『ひかりごけ』ノート」が四一頁の力作だった。釣られて、ひさしぶりに「ひかりごけ」を読み返してしまった。
 ついでに合田一道『「ひかりごけ」事件』まで読んだ。あれは実際はどんな出来事だったのか、船長本人の証言を中心に構成された本だ。それによると、実際の船長は一人しか食べてない、もちろん、その一人を殺したわけでもない。また、船長が軍属だったことが、この出来事を事件にしてしまった、と著者は言う。皇軍兵士はどんなに飢えても人肉を食べてはならず、食人した兵は銃殺された例もあるとのこと。そのために船長は犯罪に問われてしまった。非常時の食人がもとで有罪になったのは古今東西を通じて彼だけだそうだ。
 合田はこんなことも言ってる、「『ひかりごけ』で「我慢しています」と言う船長と、長い間、筆者の質問にたいして何一つ答えようとせず、拒絶し続けた現実の船長が、なぜか重なり合って迫ってくる」。人を食ったことも人に食われたことも無い裁判官には裁かれたくない、という船長の我慢は、私に『死霊』の第七章を思い出させた。これさえ無ければ『死霊』は大傑作だったのにという第七章だが、この観点から読んだらちょっとは救われるかもしれない。
 山城むつみは「我慢」よりも「光の輪」を論じた。輪が浮かぶルールや設定を執拗に追求したのが特色である。そして、食人の罪が光の輪として見えるわけではないことを証明する。「武田には人肉食というセンセーショナルな内容は最初から問題ではなかった」。食人の善悪を問うことが私には馬鹿らしかったので、これは画期的な指摘だと思った。ただ、ここまでで一七頁。残りはぴんとこなかった。
 いちばん違和感があったのは、読者には光の輪が見えない、という説明である。素人くさい視点論を応用して、登場人物にとっての見える見えないの論理を、読者の読書体験にとっての見える見えないに当てはめるのはおかしい。山城の言いたいことは、そんな屁理屈抜きに論証できたと思うのだが。ちなみに、私は八蔵の見た光の輪を見た。読者なんだからあたりまえだろう。
 それにしても、と思う。「蝮のすえ」も掲載されているので読んだ。深い。他の誰にも置き換えのきかない主人公の個が描かれている。たまたま、この特集のすぐあとのページが新企画「私のベスト3」で、津村記久子がお気に入りの映画を三本あげていた。なんと凡庸なことか。誰でも言えることが書いてある。戦後派とゼロ年代の違いだ。あきらかに文学が違う。泰淳の方が優れてる、という話ではない。とにかく違う。