如月の一番「文芸」冬号、大森兄弟「まことの人々」

私がもたもたしてるうちにとっくに単行本になっていた。初出で読んでおく。改稿の有無は調べてない。 男子大学生の一人称小説で、彼が付き合っている女子大生が話題の中心である。彼女は演劇をやっており、「まことの人々」という劇で「エドモン軍曹」を演じ…

十年前の「中央公論」五月号を読んだ

瀬戸内寂聴と山田詠美の対談があった。今年の「群像」一月号の対談も良かった。馬が合うのだろう。女流文学会の話がまた出ている。「群像」よりずっと愉快だ。平林たい子、佐多稲子などなど四十人で箱根に遊んだときのこと、まだひよっこの瀬戸内は「ちんぴ…

閑話(その1、逆説の消失)

二十数年ぶりに江藤淳『成熟と喪失』(一九七八)を読んだ。最初の方、安岡章太郎『海辺の光景』を論じたあたりである。いつまでも子離れできない母親が子を成熟させない、それが日本的な母子関係であると江藤は考えた。『海辺の光景』は格好の素材だ。ただ…

「群像」1月号「寂聴まんだら対談」

新年号では瀬戸内寂聴を「新潮」と「群像」で見かけた。前者は小説、後者は対談、どちらも連載だ。小説「爛」は徳田秋声を意識した題なのかどうか、まだわからない。対談は第一回が山田詠美である。第二回の川上未映子も読んだ。どちらも罪の無い話がはずん…

「群像」1月号「戦後文学を読む」第二回、武田泰淳

偶然で、年末から武田泰淳に関するものを読む機会が重なっている。すでに二回書いたとおりだ。ほか、古本屋で見つけた『近代文学の軌跡』(1968)がある。現代文学者に関する「近代文学」の座談会を集めた二巻本だ。その第六回が武田泰淳である。本多秋五や…

「新潮」12月号、山崎ナオコーラ「この世は二人組ではできあがらない」

別れても別れたことになってない腐れ縁の男と女。女は月にいくばくかの金を貢ぎ続けて男の夢を支える。派手な展開は無い。特に芸も無い文体で、断片的なエピソードの積み重ねで、ぢわぢわ状況を変えてゆく。片方は小説家志望だ。作家自身をモデルにしたと思…