「群像」1月号「寂聴まんだら対談」

 新年号では瀬戸内寂聴を「新潮」と「群像」で見かけた。前者は小説、後者は対談、どちらも連載だ。小説「爛」は徳田秋声を意識した題なのかどうか、まだわからない。対談は第一回が山田詠美である。第二回の川上未映子も読んだ。どちらも罪の無い話がはずんでいる。未映子の回では、女性の手をずっと握りっぱなしの里見紝とか、小林秀雄の荒れっぷりとか、昔話が楽しい。以下、詠美の回についていくつか。
 互いに会社勤めの経験があった。山田「アメリカのカタログをつくる会社で働いたんですが、いろんな計算をしないといけないんです。それがめんどうで途中で嫌になって、計算せずに適当に数字を想像して書いたんですよ」。寂聴「哲学者の先生のところへ原稿をもらいに行ったんだけど、彼が喋っているのをノートしながら寝てしまったの。だって、難しくてわからないことばかり言うんですもの(略)私の校正した間違いだらけのその本が、いまも国会図書館にちゃんとあるんだって」。さっき検索した。きっと、国分敬治訳『聖トーマスアクィナス人間論 認識の問題』(大翠書院、1949)だ。
 山田の近作『学問』について、寂聴が気づいたことを述べている、「小学二年生の少女のオナニー体験を書いてるじゃない。これ、近代文学では初めてなんじゃないかしら」。山田は「そう思います」と答えている、「意識しました」。こんな証言は重要だと思う。手もとに本が無いので初出(「新潮」〇八年九月)から引用しよう。少女が遊んでる最中にひょっとしたことで股間をこする、その時の感覚を味わいたくて、夜になってから再現させるくだりだ。

 体を揺らし続けました。あの時のように、頬が熱くなって行きます。下腹と足の付け根あたりに、とろりとしたものが広がって行くようです。でも、それは、行き場を失って困っているようなのです。(略)お外に出て遊びたいよう、と何かが、そのあたりで、むずかっているのです。何とかしてやらなきゃ。彼女は、ますます夢中になり、下半身を金魚の尾鰭のように動かしました。

 寂聴も詠美も自身は七歳頃にこんな感じを知ったそうだ。山田「性だとか、きちんと当てはめる言葉がそのときには見つからないんです。ただ、大人になってから振り返ると、ああ、あのときのあれがそうだったのか、とわかるんですよね」、寂聴「その通り!」。
 それに比べれば里見や小林の逸話はどうでもよさそうだが、「文壇ゴシップは残すべき」というのが二人の見解らしい。もちろん、残らないのはさびしい。『女流文学者会・記録』は私は存在を忘れていた本だが、詠美と川上弘美江国香織の間では「女性文学者にとって特筆すべき記録本」とのこと。そんなわけで、ゴシップをもうひとつ。「ねえ、あなたのとても好きだった人がとつぜん亡くなったと聞いたんだけど、それは本当?」と尋ねる寂聴に、詠美は「はい」と答えている。