如月の一番「文芸」冬号、大森兄弟「まことの人々」

 私がもたもたしてるうちにとっくに単行本になっていた。初出で読んでおく。改稿の有無は調べてない。
 男子大学生の一人称小説で、彼が付き合っている女子大生が話題の中心である。彼女は演劇をやっており、「まことの人々」という劇で「エドモン軍曹」を演じることになった。劇中で「ただ一人醜悪さを撒き散らすのがエドモン軍曹だった。(略)周りの善人がさらに善人になっていく一方で、エドモン軍曹だけがとことん腐っていく」。彼女は役作りや稽古を熱心に重ねる。すると、だんだん彼女の日常の振る舞いがエドモン軍曹のような狂気を帯びてくる、という話である。ありがち、と思うことなかれ。役作りの工夫に新しい登場人物をからませたのがうまい。そのため、上演の最中に現実と演劇の区別がつかなくなる、ふわっとした瞬間が生まれた。十二月号の「群像」の「創作合評」で取り上げられた。山城むつみの発言が良い。

 彼女は親が離婚して、父親の家族と母親の家族を行ったり来たりしているわけですね。別にそれで何か嫌な思いをしているわけじゃない。むしろ、彼女が煙草を吸っていることを知っているから、どちらの家族もわざわざ灰皿を置いてくれたりするわけです。(略)でも、そこには見えない抑圧があり、彼女はだから禁煙するわけです。そこにいても不快なことは特にないのに無意識のうちに見えないストレスが蓄積する。ところが、そうやって抑圧されたものが、「生まれつき人間のクズ」であるエドモン軍曹という役を演じていく中で少しずつ彼女に見えるようになってくる。

 山城は比喩の多用に注文をつけている。「ほぼ毎ページといっていいぐらいそれが出てくると、何か隠しているような、逃げているような気がしてくるんです」。ほんとうなら物語が破綻してしまうほどのものに作家は向き合っているかもしれないのに、変に行儀の良い比喩でそれを表現してまとめてしまう、ということだろう。「破綻は破綻のままつき進んで欲しかった」。結末は評価の分かれるところ。「文学界」十二月号「新人小説月評」で、永岡杜人は「あっけない」と不満を述べている。たしかに、彼女が抱え込んだ暗さを、陳腐な家族物語でいきなり解決してしまった結末である。山城が比喩に関して指摘したのと同じ問題だ。同意しつつも、私は好意的に見ておきたい。比喩や陳腐な物語で収束しておかねば、この暗さは、まだ若い作者には耐えがたかったろう、と。