佐々木中

師走の一番、庚寅の一番。

先月は仕事で忙しく、年末から正月は帰省で忙しかった。本はあんまり読んでない。何度挑戦しても挫折するドゥルーズ、ガタリ『アンチ・オイディプス』を一〇〇頁ほどでまた挫折した程度だ。「器官なき身体」って、なんなんだ。今回の印象だと、エヴァンゲリ…

霜月の一番、佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』第三夜以降

読むことをめぐる佐々木中の第三夜は、イスラム教の教祖ムハンマドについて語る。ムハンマドの最初に受けた啓示とは「読め」だった。そして、佐々木が強調するのはムハンマドの特殊性である。法の起源に関するフロイトの説明と対比させて言う、ムハンマドは…

佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』第二夜(その2)

ルターが『聖書』を「読んだ」というのは有名な話だ。私が初めて意識するようになったのは柄谷行人「テクストとしての聖書」(一九九一)だった。いまは『ヒューモアとしての唯物論』で読める。ややこしいことを言っている。 ひとびとが聖書を読みはじめたの…

佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』第二夜(その1)

武田泰淳『司馬遷』(一九四三年)の「自序」の冒頭は、「私達は学生時代から、漢学と言ふものには、反感を持つてゐた」である。「要するに、私達の求めてゐたのは「文学」そのもの、「哲学」そのものであり、支那文学、支那哲学ではなかつたのかも知れぬ」…

佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』第一夜

あまりに分厚くて佐々木中の『夜戦と永遠』も小熊英二のいろいろも読めずに積んだままでいる。あーあ、と思っているところに佐々木は『切りとれ、あの祈る手を』を出してくれた。普通の厚さだ。五夜にわたるインタヴューである。題名はツェラン『光輝強迫』…

二〇〇九年の一番

あっちこっちの新聞で、書評家さんたちが今年のベスト3とか2009年の回顧とかなさっている。思ったのは、鹿島田真希『ゼロの王国』を読まずにいたのは手抜かりであった。そうか『白痴』を素材にしてるのか。そりゃ読もう。せっかくだから私も。2009年の収穫…

『1Q84』まつり続(その2)、河出の『どう読むか』

『1Q84』に関する本が何冊か出ており、これからも出る。私は河出書房新社『村上春樹『1Q84』をどう読むか』を買った。悪く言えば大急ぎで作った雑な本だが、それだけに気楽に読める文化人評判集である。 概して低調な発言が並ぶのは仕方無かろう。一例だけ挙…