師走の一番、庚寅の一番。

 先月は仕事で忙しく、年末から正月は帰省で忙しかった。本はあんまり読んでない。何度挑戦しても挫折するドゥルーズガタリ『アンチ・オイディプス』を一〇〇頁ほどでまた挫折した程度だ。「器官なき身体」って、なんなんだ。今回の印象だと、エヴァンゲリオンの中に押し込められてるやつに近い。
 粕谷栄市の詩集はけっこう持ってる。本文だけでいいなら、全部そろってるかもしれない。良い読者とは言えなくって、粒来哲蔵の詩と並べられたら見わけがつかないだろう。それでも、先月の一番には彼の『遠い川』を挙げたい。毎日新聞松浦寿輝の時評で知った。松浦は粕谷の「集大成」と呼んでいた。どうだろう。晩年の詩境に入った、と言う方が正確ではないか。どの詩からも老いや死が感じられる。「桔梗」の前半を引用しておこう。

 九月の竹林のなかに、私は、自分の庵を持つことができた。死ぬ前に、一度は、やりたかったことの一つだ。茅葺の小さな庵だが、私には、それで十分だ。
 何でも、心から願っていると、叶うものなのだ。世間から隠れて、そこで日々を送って、やがて、独り、死んでゆくこと、それが、私の望みなのだから。
 九月の竹林は、涼しくて、そこにいると、何もかもが、気持ちがいい。一間だけの庵にこもって、私は、好きなことをして過ごす。一日、剃刀を研いでいることもある。
 それでも、毎日の暮らしに、少しは要るものがあるから、乏しい貯えを費やして、町へ酒や豆腐を買いにゆく。ついでに、寄り道して、一人の女を伴って帰る。
 普通の暮らしをしていたら、とっくに死んでいて、この世で、もう、逢えなかった女だ。夕暮れの棚田のほとりで、一輪の桔梗の花の姿をして、女は、私を待っている。

 つい全部紹介したくなる。この後は、二人の静かな生活とおとなしい死が語られる。実はまだ半分も読んでないのだけれど、きっと良い詩集に間違い無い。ついでに昨年の一番も考えてみた。
 長編賞、長野まゆみ「デカルコマニア」(「新潮」八月号〜十一月号)
 短編賞、鹿島田真希「その暁のぬるさ」(「すばる」四月号)
 詩歌賞、粕谷栄市『遠い川』(思潮社、十月)
 評論その他賞、佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』(河出書房新社、十月)
 佐々木については、三万部も出たという噂を聞いて驚いている。日本近代文学保存会の書として誤解されたか、くだらない罵倒に満ちた部分がそれゆえにウケたか、たぶんその両方だろう。反発する人も、同様の誤解と罵倒に反応したふしがある。これは佐々木の口調の自業自得でもあるので、仕方ない。