佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』第二夜(その1)

武田泰淳『司馬遷』(一九四三年)の「自序」の冒頭は、「私達は学生時代から、漢学と言ふものには、反感を持つてゐた」である。「要するに、私達の求めてゐたのは「文学」そのもの、「哲学」そのものであり、支那文学、支那哲学ではなかつたのかも知れぬ」…

中之島国立国際美術館、ルノワール展ほか

子供の頃に「イレーヌ・カーン像」が好きだった。新聞で複製の小さな広告画像を見かけたのである。ところが大きな画集で見ると、外国人の目鼻立ちは強烈で、髪はおどろおどろしく、どうもいただけなかった。そのうち中学高校になると、印象派より超現実主義…

閑話(その2、一般意志2・0)

評論に逆説が減って読みやすくなるのは九〇年代くらいだろうか。個人よりも社会が論じられるようになったのもその頃らしい。「僕が院生時代を過ごした一九九〇年代半ばの思想的雰囲気をひとことで言えば」と東浩紀は書いている、「多くの人が指摘するように…

すばる3月号、ル・クレジオ「逆説の森のなかで」、2月の村上春樹、エルサレム賞記念講演

ル・クレジオがノーベル賞をもらった。星埜守之訳「逆説の森のなかで」は昨年十二月七日の受賞記念講演である。「逆説の森」はダーゲルマンの言葉で、「飢えた人々のためにこそ書きたいと望んでいたというのに、彼の存在に気づくのは結局、充分に食べ物のあ…