東浩紀

十年前の「群像」を読んだ。柄谷行人と村上龍の対談。

十年前の一月号には「群像」と「文学界」が柄谷行人の対談や鼎談を載せた。どちらも良い。NAM を始めた頃で、柄谷の発言は意気軒昂としている。それとはあまり関係無い部分を引用しよう。もちろん、NAM を始めたという文脈で語っていることではある。「群像…

二〇年前の「中央公論」で宮台真司を読んだ。

一九九四年の宮台真司『制服少女たちの選択』は二部に分かれている。ブルセラ論争に関するものは第一部だ。第二部は「中央公論」一九九〇年十月と十一月号の「新人類とオタクの世紀末を解く」を書き直したものである。『制服少女』の第六章が十月号で、第七…

ised(情報社会の倫理と設計)設計篇

国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)の東浩紀研究室(06/08/01,解散)が二〇〇四年から翌年にかけて運営していたシンポジウム「情報社会の倫理と設計についての学際的研究」(Interdisciplinary Studies on Ethics and Design of In…

前島賢『セカイ系とは何か』

セカイ系という言葉を知ったのは最近である。社会的な媒介項を抜いて自分と世界が直結してしまう、という点で、連想したのは、タルコフスキーとか志賀直哉とかだ。そんなにはずしてないと思う。調べたり検索したりしたら、言及してる人がすでにあった。最近…

「現代詩手帖」二月号の討議から

吉本隆明が『日本語のゆくえ』(2008)でゼロ年代の詩を評し、「「過去」もない、「未来」もない。では「現在」があるかというと、その現在も何といっていいか見当もつかない「無」なのです」と言った。結構話題になったらしい。一昨年まで私は寝ぼけていた…

閑話(その2、一般意志2・0)

評論に逆説が減って読みやすくなるのは九〇年代くらいだろうか。個人よりも社会が論じられるようになったのもその頃らしい。「僕が院生時代を過ごした一九九〇年代半ばの思想的雰囲気をひとことで言えば」と東浩紀は書いている、「多くの人が指摘するように…

「思想地図」vol.4、宇野常寛「ポスト・ゼロ年代の想像力」冒頭

物語批判は古い、と宇野常寛は「思想地図」第四号の「ポスト・ゼロ年代の想像力」で述べている。相も変わらず物語批判を奉じている例として「早稲田文学」を挙げた。彼はこれを「文壇のキューバ」と呼んでるそうだ。しかし、たとえば、ムーア『シッコ』に描…

早稲田文学、第三号、斎藤環「コドモと文学」

ぶあついわりに中味の薄っぺらいのが「早稲田文学」である。第3号は表紙が目立つ。沈んだ目つきの中年男性が、本の多い部屋に幼女を引きこんだところだ。ひとつページをめくると、どうやら彼は幼女を公園で誘ったらしい。鋭い視線だ。さらにページをめくる…

古井由吉『人生の色気』

今月は新刊がたまって文芸誌を読めずにいる。古井由吉『人生の色気』が出た。この人の単行本はすべて持っている。いまさら買わずに済ませられない。全六回にわたる茶飲み話を一冊にまとめた本だった。回ごとに佐伯一麦、鵜飼哲夫、島田雅彦なんて面々が同席…

「ミステリーズ」33,35,36、東浩紀「押井守とループの問題」

押井守は好きだ。昨年の『スカイ・クロラ』は二度見た。DVDでも見直した。『天使のたまご』や『御先祖様万々歳』第1話2話をさしおいて、これを彼のベスト1に挙げたい。救いようの無い閉塞感の中でたんたんと結末まで進行するところが良い。 嫁が森博嗣の…

閑話。

いろんなブログの感想文を読んでいると、高評価の規準に「よみやすい」というのが多い。慣れ親しんだ価値観や世界観が良いんです、ということだろう。そんな、読まなくてもわかってるようなことを、わざわざ時間をかけて読書する、という彼らの感覚が私には…

佐々木敦『ニッポンの思想』(その2)

この本には、私の知らない話、忘れてた話、軽視してた話、がたくさんあって、それが役に立った。一例だけ挙げておこう。 「週刊朝日」の緊急増刊「朝日ジャーナル」(04/30)に、浅田彰と東浩紀とほか二名の座談会が載った。ふたりの違いがハッキリする応酬…

庵野秀明「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」

私は四十を半ばも過ぎて昨年に初めて「エヴァンゲリオン」を見た者である。それがまた初めて東浩紀を読むきっかけにもなった。ふたまわり近く年下の嫁の影響だ。庵野秀明という名を何十年も記憶にとどめていたこともある。私にとって彼の名は「風の谷のナウ…

中央公論3月号、特集「日本語は亡びるのか」

「中央公論」までが水村早苗『日本語が亡びるとき』に刺激されて「日本語は亡びるのか」という特集を組んだ。恥ずかしいことに「ユリイカ」での特集と同じタイトルである。おまけに、三人の談話を載せた顔ぶれのうち、水村と蓮實重彦は「ユリイカ」と同じで…

文学界2月号、鹿島田真希「パーティーでシシカバブ」

柄谷行人が、「最近の若手批評家」の傾向として、「他人がどう思うかということしか考えていないにもかかわらず、他人のことをすこしも考えたことがない、強い自意識があるのに、まるで内面性がない」と述べている(『近代文学の終り』2005)。東浩紀などが…