「群像」六月号、川上弘美「神様2011」

川上弘美のデビュー作は、「くまにさそわれて散歩に出る」という彼女らしい奇妙な書き出しの「神様」で一九九三年の発表である。人語をあやつる熊で、しかもジェントルだ。のんびりと散歩がこなされ、目的地の川原に到着する。そのとたん、熊に野性がよみが…

「毎日新聞」三月三一日、田中和生「文芸時評」

田中和生が毎日新聞の文芸時評で言い続けていることがぴんとこない。一言で言えば、リアリズムの勧めである。三月三一日のが最初で、これだけでも最低限の主張はわかる。東日本大震災があり、福島の原子力発電所の事故が起きた、それによって、 どんな地震が…

二〇一〇年「すばる」十二月号、田中慎弥「第三紀層の魚」

私の部屋には、読んでない本の塔が複数ある。読書量の低下は前にも書いたとおりだ。塔の中に昨年の「すばる」12月号があった。買ってたんだ。田中慎弥「第三紀層の魚」と荻世いをら「筋肉のほとりで」を読むつもりだったのである。さっそく田中から読んだ。 …

神無月の一番、高岡修『幻語空間』

こないだ読んだ『阿部和重対談集』(二〇〇五年)で高橋源一郎がこう言っている、「現代詩がどうしてデッドロックに乗り上げたかというと、それは完璧主義と「新しくなければいけない」という規範のせいです。そして、これはモダニズムの考え方そのものなん…

前島賢『セカイ系とは何か』

セカイ系という言葉を知ったのは最近である。社会的な媒介項を抜いて自分と世界が直結してしまう、という点で、連想したのは、タルコフスキーとか志賀直哉とかだ。そんなにはずしてないと思う。調べたり検索したりしたら、言及してる人がすでにあった。最近…

読売文学賞、高村薫『太陽を曳く馬』(その2)

禅については秋月龍ミンの本を私は好んで読んだ。坐禅して解脱した瞬間の体験談に関して、その多くは同じ姿勢を続けて疲労したあまりの異常心理にすぎない、と彼は述べている。しかし、体験しか無い者は異常心理と神秘体験を区別する基準を持ってない。『太…

読売文学賞、高村薫『太陽を曳く馬』(その1)

東京の喧噪の真ん中で托鉢と坐禅にあけくれる曹洞宗の寺で、修行僧が交通事故で死んでしまう。この僧の監督責任を寺の者に問えるか。主人公は刑事である。作者の愛読者なら合田雄一郎という名は御存知のはずだ。捜査にあたって『正法眼蔵』を読んでおくとい…

中之島国立国際美術館、束芋「断面の世代」展、ほか

こないだ奈良に行ってきた。興福寺の展示が変わった国宝館を見たかったのだ。昨年まで阿修羅様をはじめとする八部衆はガラス戸の向こうに並んでいた。病院の人体模型のようで風情が無かったのである。今は、うす暗い部屋の効果的な照明で浮き上がるように設…

「新潮」7月号「昭和以降に恋愛はない」大江麻衣(その2)

何度も「夜の水」を読み返した。三月六日のTwitter を見ると、高橋源一郎が「夜の水」を「ここ数年読んだ詩の中で、№1の面白さだと思う」と激賞する要点は、これが「本邦初のガールズトーク詩(?)だったかも」、「「女の子」じゃなく「女子(じょし)」が、これ…

「新潮」7月号「昭和以降に恋愛はない」大江麻衣(その1)

クイズをひとつ、「貞久秀紀と松本圭二と四元康祐と杉本真維子と斎藤恵子と小笠原鳥類と藤原安紀子と多和田葉子と岸田将幸の共通点は何か」。答えは、「中原中也賞の候補になったけど受賞できなかった」。彼らをしのいだ受賞者たちを確認すると、長谷部奈美…

水無月の一番、高橋源一郎『「悪」と戦う』(その2)

初出連載と単行本との比較はすでに「群像」七月号で安藤礼二の書評がやっていた。安藤は「モナドロジー」と重ねて『「悪」と戦う』の並行世界を説明している。ライプニッツで説明がつくなら、人間が悪と戦える余地は無い気もする。まあいいや。この小説の最…

高橋源一郎『「悪」と戦う』(その1)

私は萎えた頃の高橋源一郎しか知らない。本屋でぱらっと数ページめくって、それだけの作家。ところが、新刊『「悪」と戦う』はパラレルワールドだと言う。気になるテーマなので初めて読んだ。先月二三日「毎日新聞」のインタヴューには、 1981年のデビュ…

中之島国立国際美術館、ルノワール展ほか

子供の頃に「イレーヌ・カーン像」が好きだった。新聞で複製の小さな広告画像を見かけたのである。ところが大きな画集で見ると、外国人の目鼻立ちは強烈で、髪はおどろおどろしく、どうもいただけなかった。そのうち中学高校になると、印象派より超現実主義…

「すばる」一月号、福永信「一一一一」

題名はマンションの一一一一号室からきている。同じ趣向の「一一一三」が「文芸」春号に載っている。私は本作の方が好きだ。 マンションのエレベーターで顔を合わせた男性二人の会話である。といっても、年上の方が一方的に語り、若い方はほとんど「ええ」「…

冨永昌敬『パンドラの匣』(太宰治原作)

冨永昌敬「パビリオン山椒魚」はひどかった。新人が映画をなめた、ありがちの駄作だった。二度とこの監督の映画は見なくていいという確信を得られたのだ、決して金と時間の無駄ではなかった、そう自分を納得させて帰路についたものだ。太宰治「パンドラの匣…

永井均『道徳は復讐である』(『ルサンチマンの哲学』文庫化)その1

二十年前ほどのニーチェの解説書というと、多くはニーチェの生涯に紙幅を費やすばかりで、思想については通り一遍のことしか書いてなかった。結局、一番便利なのはドゥルーズ『ニーチェと哲学』(邦訳1974年)だ、と言うしか無かったのが私の実感である。状…

群像7月号、田中慎弥「犬と鴉」

十月号が出ている世間に向けて七月号を書くのは気が引けるが、たった三〇ページ強のこの小説は、ちゃんと読むのに時間がかかったのである。読みにくいったらありゃしない。作品として主題を読むなら、つまり、なに言いたいんだよ、というレベルなら、「群像…

新潮4月号、アジアに浸る、第七回

SIA(サイア)という九州大学のプロジェクトがあるそうだ。簡単に言うと、高樹のぶ子がアジアの十ケ国を訪れて現地の文学に触れるものだ。〇六年に始まってすでに七ケ国が済んでおり、「新潮」では、高樹の交流した作家と高樹の作品を解説付きで掲載している…

睦月の一番、群像1月号、多和田葉子「ボルドーの義兄」

文芸誌をこつこつ読んでみる、なんてことを二十年ぶりほどにやった。感想としては、昔より面白くなってるのではなかろうか。また、異国が舞台になっていたり、異国人が登場したりする作品も多い。つまり、私は日本語で読んでいるけど実際は外国語で語られて…