「新潮」7月号「昭和以降に恋愛はない」大江麻衣(その2)

 何度も「夜の水」を読み返した。三月六日のTwitter を見ると、高橋源一郎が「夜の水」を「ここ数年読んだ詩の中で、№1の面白さだと思う」と激賞する要点は、これが「本邦初のガールズトーク詩(?)だったかも」、「「女の子」じゃなく「女子(じょし)」が、これだけはっきりと、詩の形になったのは史上初だと思う」ということだ。私はこの詩の書き出しの、「花に感動できません。乳首舐められても感動できません」を読んだだけで、低俗な凡人ぶりにげんなりしてしまう。まさに俗で凡であるゆえに高橋には非凡に見えるのだろう。五月二七日にはもっと詳しくつぶやいている。短く切り取って骨子だけつなげて引用しておく。

 小説や詩のことばが盛んだった時代と、小説や詩のことばが元気のない時代の差はどこにあるのだろう。みんなが「自分」に興味を持ちすぎるようになった。かつては違った。盛んな時代の小説家や詩人は、「外」に向かって走ったのだ。それに対して、ぼくたちの多くは、「内側」へ入ろうとする。不思議なことは、「外」へ興味を抱いた人たちの方が、自分に興味を持つぼくたちより、ずっと「個性的」に見えることだ。なぜだろう。「外」との繋がりは無数にあって、それ故、その人の数だけ異なって見えるのに、「内」との繋がりは一つしかないからだ。自分では「個性的」と思っているのに、外から見ると、ぜんぶ同じにしか見えないのだ。そして、そのことを当人は気づかない。

 こういう現代詩への危機感は私も好きだ。ただ、「ぼくたちの多く」がよくわからない。高橋本人が含まれるなら、必然的に松浦寿輝みたいな詩人は含まれないと思う。すると私に浮かぶ「ぼくたちの多く」は町田康みたいな詩人だが、どちらかというと、高橋は逆をイメージして言ってる気がする。穏便に済ませようとして、この手の発言が批判対象を名指ししないのはよくあることで、おかげで「内側」がよくわからない。「外」は差し当たり日本国憲法第九条でも考えておけば良さそうだ。でも、高橋はさらに踏みこんで言う。

 ここで重要なことがもう一つある。小説家や詩人が走った「外」とは何だろうということだ。意外なものが「外」にある。それが「自分がしゃべることば」だ。口語といってもいい。それは「外」にあって変化するものなのだ。小説や詩は、危機の時代には、ことばを革新した。というか、流行りの口語を導入した。紀貫之から太宰治(「女生徒」)、橋本治から吉本ばなな舞城王太郎まで、その例は多い。短歌もまた現代口語を大胆に導入することで生き残った。だが詩だけが、というか現代詩だけがその導入に失敗したのではないだろうか。ぼくは一ファンとして、現代詩の不振の最大の理由はそこにあると思っている。

 口語という論点を出してくれたので、高橋が「夜の水」の「ガールズトーク」を評価する理由がわかる。私の不満は、二葉亭四迷萩原朔太郎による、小説と詩の口語化が例になってないことだ。二葉亭の場合は書かれた外国語が起点になった。朔太郎の口語詩には文語詩が必要だった。この二人による「書き言葉を通した革新」の方が「流行りの現代口語の大胆な導入」よりも本質的であることは文学史の常識であろう。「現代詩の不振の最大の理由はそこにある」というのは、それでも示唆的だった。口語の導入がいかにも直接的に可能であるかのような物言いが安易に思えるのだ。実際、町田康も大江麻衣も安易に映る。
 もうひとつ確認しておく。口語が変える文学史の議論は高橋が初めてではない。「表現の転移は、時代によってその在り方がちがうが、基本的に想定できるのは、文学体から話体への「書く」という過程での下降と、話体から文学体への「書く」という過程での上昇である」と五十年前に言った人がいる。